こしあん日記です
草木の彩度も落ち着いて、吹く風は肌を刺すようになった。冬様の訪れである。
振り返れば、直前まで忙しなかった新譜も無事リリースされ、ワンマンライブも無事成功した。
いやあああ、ほんとによかった。
日記も久しく書けなかった。
リリースに伴い莫大な文章量と作業量があり、それをこなしていたら日は落ち気づけば明日は始まっていた。
書き溜められなかった諸々の出来事を私は覚えていられるだろうか。
色々…あったよな…。
・コロナかしらと疑ったがただの風邪で、自粛だろうと投資した玉ねぎの山に部屋を占領される
・髪が伸び「米津玄師ファンですか」と多数声がかかり、その対処法
・加虐心と向き合うこと
・ヲタク話のみ英語が喋れるようになっていた
・妹氏が友人と栄のタワレコに行き、新譜の写真を撮ってくれるもその人におすすめしてくれた?と問うと「いや?気づかれない隙を伺って撮った」と一家のハードめな血を再認識させられた。
取るに足らぬ葛藤ばかりかもしれない。
しかし、私の人生はやたらとクエストが多い。
それもサブクエストばかりだ。
しかし、サブクエストでもクリアしていけば、その時々の発見が連鎖していき、強敵という名の謎を一棒打尽できる武器になるかもしれない。
または、その発見の集合体がとびっきり美味な餡子の様に、ご褒美となる瞬間が来るかもしれない。
また、誰かに読んでもらえるかもしれないという意識を持って、徒然なるままに今後とも書いていきたいと思う。
やっとゲームにも時間が作れるようになってきたぜ。
Moonchildと記憶の車窓
学生の頃、私はまだ愛知県は尾張あたりに住んでいた。
東京で演奏をする機会が生まれきた2019年。
私は何かと東京へ行く機会があれば下道で行っていた。
時間はかかれど、根気さえ強く持てば高速の半分くらいの金額で行けた。
そして、駐車もakippaを使えば1日500円とかで住んだりするのだ。
節約とは、知恵と体力の試練なのである。
しかし、車を走らせながら色んな気づきがあった。
トーストとあんこが合うように、納豆と味噌汁が合うように、グラノーラときなこが合うように、音楽も風景と合わせ楽しむとさらに奥行きを揺蕩うことができるのだ。
静岡を走る中、車窓に背の高い草が波のように揺れていた。
その時にminmiの「四季ノ唄」が丁度シャッフ再生で流れた。
夕陽を照ら点かせる揺れる草波に、スライドするベースが見事にその情景を言い表していた、いや、鳴り表していた(?)。
そして、その音を追う様に入るギターはまさにきらきらと光を遊ばす風の様で目の奥が広がる衝撃があった。
当時はカントリーの箱バンに所属していたため今思えばかなりバタ臭かったろう。知人のいないところでは運転しながら窓に膝をついつダルそうに運転していた。
山梨に入りコンビニに駐車し周りを見渡すと本当に自然が広がるのどかな町で、自分がここに住んでいたらどんな青春を過ごしていたんだろうと妄想しながらジュースを飲んだ。
翻る旗越しに山脈が広がって夕陽が落ちていくのは本当に虚無的な情緒があった。
そんな時によく聴いていたのがmoonchild。
実際どこでも聴いてたんだけど、特に山梨の雰囲気とはめちゃくちゃにマッチしていた。
「Too Much to Ask」なんか聴くと一瞬でtripできちゃう。鼻腔で感じるあの空気…。
今思えば、虚無って一種"あの世"的な側面があるのだろうか。
本日はそんなmoonchildの音楽を初めて直接観れた。
もう最高だった。kieferとの豪華な対バンでまさにawesoooooomeであった。
整理番号が良かったからもう、背にモーセの十戒できても知らない!と割と前の方で観た。
しばらくぶりの完全スタンディングライブで、人はもう凄い数であった。
(この先からネタバレも含みます)
始めにkieferの演奏。
虚無に揺蕩いながらも徐々に増す確かな熱を感じながら身体は乗っていた。
聴きながらドラムの樋口氏がフッと思い出された。
車で通ってた頃よく泊めさせてもらってて、その時に教えてもらった音楽を帰りに聴いてまた下道を下った。
彼の好きそうなビートだなあと改めて思ったのだろう。
それから、曲の間に何かを感じて思わずスマホを取り出した。
kieferが物凄く丁寧に旋律を一人奏でる。
綺麗な曲だなあって思っていたら聴き馴染みしかないイントロが流れた。
nujabeseの「feather」だ!!!!!!!!!!
くぅぅぅぅぅぅ。。。。。
まさかkieferの弾くこの曲を聴けるとは。。。。。
樋口氏と追悼ライブへ行ったのも懐かしい。(ナンパしてみろよぉ〜と言い合いそのまま帰った初クラブ)
脈々と音楽の血が受け継がれている場面にこうやって実際に立ち会えたというのは、私の生涯に於いてもかなり大きなことに感じた。
アレンジもね、本当に良かった…。。それからMCも。
その後20分の休憩があった。
風邪が治ったばかりか、昨日久しぶりに長距離チャリンコで走ったからか身体がバキバキで呼吸がしにくかった。
そして、久しぶりのスタンディングぎゅうぎゅう大人数でだいぶやられてしまっていた。
しかし、何としてでも見るのだ…!と何とか気を紛らわせながら時を待った。
ステージが消灯する。
わぁ!!!っと気持ちが持ち上がる。
ステージに三人が現れ、音が鳴った瞬間に完全に身体が生き返った。
そして、先程までずっとノイズに感じてしまっていた周囲が華やぐように揺れている。
最高、音楽big loveすぎだぜ…と音に乗っていた。
しかし、中盤が過ぎた頃身体に限界を感じた。
本来気持ちの良い低音さえ内臓に悪く響いてしまう。なんなんだ…。
私のライブ体力は完全に落ちている、こんなこと本当にあるんだと朦朧としながら人をかき分けてホールから通路に出た。
すると「大丈夫ですか?」と水を渡された。
壁にもたれ頂いた水を飲んでいると「よかったら座ってください」と椅子に座らせてもらった。
酸欠かもしれないです…と伝えると「今日はキャパがコロナ前に戻ってるので絶対空気薄いですよねぇ」と応えてくれた。
それから気づけばお互いの好きな音楽について話していた。
もらった水を少しずつ飲みながら通路でライブを聴き、スタッフのお兄さんとの談笑。
スタッフのお兄さんとは何故か出自の話までして、お互いの感じる東京の有難さを語った。
そのスタッフのお兄さんは週5で働きながら休みの日、時には有休を取ってイベント系の仕事をしていると聞きやすいように屈んで話してくれた。
「新しい好きなことをちゃんと発見していきたいんですよねえ」とスタッフのお兄さんは言った。
わかりみすぎるー…!と思いながらも、凄くポジティブなエネルギーを分けてもらえた実感がした。
冷笑の向こう側の会話ほど楽しいものはない。
moonchildも凄く良いですねって仰ったため、ざっくりおすすめポイントをお伝えすると「やっぱ音楽好きなんだね〜、何かそんな感じがしましたあ!」とまた屈んで言ってくれた。
中が暑過ぎて上着を斜めかけの小さなバッグに結び、それでも暑くて上着2を腰に巻いていたから何かのヲタク感が醸し出してしまっていたのだろうか。
結局何故か相談ごとにも乗って頂き(なんで!?)次のお仕事でその場を離れられたため私も中に戻った。ちゃんと挨拶ができなかったな。本当に素晴らしい美青年であった…。
空になったペットボトルを握りながら、無事最高のステージを楽しめた。あんちゃんのおかげだぜ…。
ロビーに戻り来ているはずのフルートの佐々木さんに連絡をして突っ立っていた。
すると「よっ!」と声をかけられた。
樋口氏!!!!!
やっぱ来てると思ったー!と凄く嬉しかった。
やっぱしな〜!!
また感想会をやろうと別れた。幡ヶ谷にてまた集合である。
その後物販を大量購入されていた佐々木さんと合流した。
すると一部で何か盛り上がっている。
kiefer氏だ!!!!!
そして、バンドメンバーのおふたり!!!!!
佐々木氏は何やら仕事の連絡が入ったと慌しくも颯爽とその場を去られた。
え、kiefer氏いる、帰る?どうしよ…!
そうはならなかった。
以前Questloveの一件があったからだ。
伝えたいことだけ伝えて帰ろうと決めた。
ベースのSolo氏と目が合い勢いでexcuseme?と声をかけていた。
そこからは何故か自然と会話することができた。
あ…!
バイト先の果敢な英語接客が役に立ったぁぁ……!!
自分の好きなことや、相手に聞きたいこと、そしてこれだけは伝えねばならないという気持ちがあれば、中学英語でも何とか伝えることができたのだ。めちゃくちゃに優しいお方であった。
まるで彼とは恐れ多くも波長が合ったのか、こんなキャッチボールできたっけ?ってくらい話せた。
あ…!
スプラトューンを友人とその友人のニューヨーカーとボイスチャットで話してたからだぁぁ……!!
有難い…。非常に有難い訓練をさせてもらっていた…。
最後に日本で美味い食べ物何?と聞かれ「DOTENIDON!」と答えるわけにはいかないから「TENPURA!」とさしてそんなに食べない日本飯を答えてしまったのだけ悔いる…。
なんで、天ぷらよ。
だったら「MATSUYA〜〜!Do you know GYUDON?」くらいのその国の庶民的な答えの方が良かったかもしれない。
天ぷらて。
その後ミーハー丸裸にkiefer氏にバッグにサインも書いて頂き、辿々しいブロークンイングリッシュで何とか今日のライブの感謝を伝えることができた。
彼もまた病み上がりということで、お互い元気になろうと別れた。
最後にまさかのご本人たちと話せるとはYouTubeを見ていた自分は思っていなかったので嬉しかった。
本当にまた世界がどうなるかはわからないからね。
音楽はまるで不思議な箱でもある。
開けばその時の情景が走馬灯の様に脳にたなびく。
人との記憶、場所での記憶、気持ちにある記憶。
その時が宿っているのだ。
今月リリースされる新譜には、まさに彼らに影響された曲が収録されている。
やっとできるようになってきたぜ。絶対に聴いてほしいー!!
22-10-24 ゲームとタメ口
寒さと暑さ、両者に裏切られる様なお昼にスタジオにはリハがあり、その後皆んなでダナーズ(俗に言うマック)へ雪崩れ込みなんやかんや話した。
気づけばもう日が落ちており解散した。
流石にWi-Fi復活してるよね…?と伺いを立てる様に玄関を開けるも、真っ赤に惑星マークが光っている。
うそーーーーーーーーーーーん😭😭😭
Discordを開くとゲーム仲間でスプラやろう〜と盛り上がっていた。というか昨夜誘ったのは私だ。
もうテザリングするしかない、と私は部屋からバンカラ地方へ旅立った。
元々バイトで知り合った人たちだが、ゲームで敬語使うのめんどくさいからタメ口にしない?という理由から敬語は使わずプレイする条約が結ばれた。
たしかに敬語をやめるとプレイ中の呼びかけがスムーズになり、敵の位置など情報のやり取りがとても行いやすい。
そして、結局タメ口って楽なんだな。
なんか最近愛知の頃とばかり比較して気持ち悪がられるかもしれないが、比較対象としては相応しいのだ。
その当時は誰にでも敬語で接していた。
理由としては、相手の年齢が分からないから無難であるためだ。という体裁を放ちつつ「絶対にここには入ってくるんじゃない」というATフィールドをバリバリに張っていたのだ。
もう何か面倒な事で体力が吸い取られるのが嫌だ。そんな体力あったら朝までオンラインに潜りたいという理由である。
上京して2年目、結構打ち解けたなあと思った帰り際で「いやあ、にしても分厚いATフィールド張ってるよね」と言われ、オウフッとなったことがあった。
見透かされていたのである。
その頃から一寸これは改善させないとまずいかもと思い出した。
テザリングしながらのプレイはもはや背徳感すら感じた。
早々に切り上げきっと明日には復旧しているはずだと伝えて解散した。
ゲームをやることによって内向きな性格になるといった従来の考えは現代に於いても言えるだろう。
しかし、私はゲームによって開かれているような気がしてならない。
だって、今や会話に於いてタメ口の方が楽になってしまったんだから。
22-10-23 外に穴を開けるしかない
夏に彼と共に吉祥寺のインドカレー屋へ入ったのだが、それが初のインドカレーであった。
おかわりもできるというコスパの素晴らしさ、そしてナンの絶大的な美味さを知ってしまった。
私はインドカレーにどハマりしたのである。
そんな話をしていると、そんな大学生じゃないんだから〜と彼に言われ「確かに」と思った。
まさに大学生のうちに通っておくべき関門である。
しかし、本当に大学生活が音楽とゲームに明け暮れていたため、抜け落ちているものばかりである。
それを疾うのむかしに習得している同級生はもう着いていけないほどに遠くにいる。トホホ。
今年は大学をエンジョイするために必要だったことをぼんやりと考えることが多い一年であった。
単純に偏差値も中途半端な普通科大学で、趣味を共有できる奇跡的な出会いも無く、おもしろさは外にしかなかったから、というのが学生生活を楽しめなかった理由であろう。
淡々と単位を取り卒業式も欠席し、ゲーム仲間以外の同級生とは本当に単位のためだけの関係という非常に淡白な関係性のまま終止符が打たれた。
出たとしても因果は何も変わらなかっただろう。
あ!思えば出身と出会ったのは学生の頃で、まさにその時間は「外」であった。
へーー!!えーー!!なるほどーー!!と、内ではブレーキかけっぱなところをアクセルを踏んだ会話が出来た。
そう思えば良いことではないか。
ベースの丸山氏との出会いもまさにそれか。
いつでも外側にしかない運命線なのだ。
私はラッシーを頼み何故か出身は「ウーロン茶?」と指定されてアイスティーでと答えていたが、お待たせしましたと置かれたのはウーロン茶であった。
内では起こらない出来事である。
カレーを食べながら本当にカジュアルレベルの高いコミュニケーションって自分にその素質がないと本当に難しいという話になった。
咄嗟なアクションに対して文脈のないアクションで成り立つコミュニケーション。
それは即ち何も起こっていないのだ。
それだ。あの大学の空気感に馴染めなかった理由。
誰が悪いとか、そういう話ではない。
しかし、ただただ怖くて震えるだけの時間であった。高次元のプレイである。
それから出身の自宅兼作業場へ行き、近況を話したりしつつ作業を進める。
その時ふと私の客観視ならぬミーハー視は働いた。
あれ、『住住』じゃね??
越した頃に2畳のロフトで観ていたバカリズム脚本のドラマ。
バカリズムの作業場に人が集まり淡々と何気ない会話が繰り広げていく。その中での機微だったりコミュニケーションにおける妙なおもしろみにより展開されていくドラマだ。
あれ、これ擬似『住住』じゃね??
もしあの時、安易にあの空気感に便乗して、無理やり自分に楽しさを働きかけて過ごしていたら。
それはそれできっと楽しい世界線があっただろう。
しかし、ちゃんちゃらおかしいゼ!と思ってしまう性根はどうしようもない。
だから私はこれからも道端で楽しそうな学生やきっとそこを通ってきたであろう人々を見ては「高次元〜!はい!高次元〜!!」と胸中で高次元音頭を唱えスーーーと消えていくのだろう。
本当は羨ましいくせにっ!へへーん、知らねぇ〜!!
そんな何もかも楽しめなかったor現在も辛み…という方にもきっと楽しめるモノを現在制作中だ。
我々は外に穴を開けて行くしかないのだ。
22-10-22 手綱
凄く嬉しい事があった。
くっらい帰り道を何度助けられたことか。
まさに手綱ですよ。
どうしようもなくても家に帰り、飯を食い寝なければならない。
そんな時は音楽を爆音で聴いて、家まで繋がる綱を引く様にして帰るのである。
兎に角嬉しい日であった。
そして、なによりも楽しみだ。
22-10-19〜21 神無月の3種
──10/19(水)「パワーコード」──
夜近所の公園でまおさんとギターの練習をした。
今年の頭まで本当に近所だったまおさんだが、越されてからはなかなか会うタイミングも減り、3ヶ月ぶりくらいに再会した。
ギターのそのあたりを完全に触れてこなかったものだから、弾いていて非常に楽しい。
まおさんとオープニングでやろうと、スプラトューンの曲をやることになった。
すると、警察が来て苦情が入ったと注意を受けた。
しかし、その警察官の人は「ごめんねぇ、ここ会話だけでも苦情と入っちゃう場所で。今だったらどこかなぁ、大きい公園も今そんなにないんだよねぇ」と場所の提案までしてくれる。
話を聞くと元々父親が音楽好きでオールディーズが好きだと言う。話があった。
そして、昔の渋谷や下北の治安の悪さなどの話になり、警察官が「あそこ朝になるとそこらじゅうにゴムが落ちててやばかったんだよね」とカジュアルに話しているのがどうにも面白く楽しかった。
警察の格好を脱げば、ディスコードでボイスチャットしながらゲームできる仲になれそうな予感さえした。
ご近所のみなさん、すみませんでした。
──10/20(木)「本人」──
モナレコでのライブ当日。連絡が取れなかったまおさんがギリギリにやってきて、何とか二人で出ることができた。
焦ったが、焦っていない自分がいた。彼は常に飄々としている。だから、来てくれたらそれはラッキーなのである。
この日、無事ラッキーデイであった。
ライブが終わり、いつもお世話になっている音響の方に感想とアドバイスを聞くと今までで一番良かったと言っていただけた。
でんじはのおかげだ、、!
たしかに自分自身でも声がちゃんと出るようになった気がする。
その方とは基本ライブのプチ反省会みたいな感じで個人的な話は一切してこなかったのだが、虚無のまま観れるおすすめの映像を教えてもらった。
「パパはグーフィー」をお勧めしてもらったのだが、私は幼き頃ヘビロテして観てた。
懐かしい、観てたことすら忘れてしまっていた。
まさかここに来て「パパはグーフィー」の話ができるとは思いもしなかった。
話してみるとわからないものである。
その時対バンしたバンドが、最初おぅおぅ…と圧倒され気味になったが、自分には到達できない音楽との融合というものをまざまざと見せつけられて感動してしまった。
良い距離以上を行けないんだよなあ。
──10/21(金)「その向こう側」──
ライブも終わり、無事サブスクで第二弾の「紐解きのテーマ」もリリースされて(絶対に聴いてね!れ!!!)ライブも終わったし、夜はゲームをやろうと目論んでいた。
しかし、あれ、Wi-Fiが飛んでいない。
慌てて電話で確認してみると、2月の支払いが済んでいないと。
2月!?!?!?!?!?
如月ですか!?と。オーーーーウマイ。
そして、これ今日再開されなかったら土日も、怖い話月曜までWi-Fiの使えぬままの休日を過ごすということになるのか…!と私は戦いた。
『電波道中記』というEPを出すのに、突然その向こう側へと追いやられた。
この期間で別のことを育めということですか、神様よ?
もう諦めてほぼ1日かけて連絡網や告知系に心血を注いだ。兎に角送信に緊張のいるものばかりであった。
さあ待ってろよ、バンカラ地方。