こしあん日記

MURAバんく。の土屋のぐるぐるとした日記である。

22-10-18 デラックス

友人とは言え他人である。そして、内面をわざわざ言葉として外に表すのも無粋というかダサい。

だから自分自身について多くは語らず、見たものや感じたものを客観的に話し合う。

大学の頃はそんな界隈にいた。

 

察しが悪いとだりぃ〜〜、分かってないなぁ〜〜と、ある程度偏見のある人でなければ仲良くなれなかった。(怖すぎる)

しかしながら、確かな本音を外部により影響されない人との会話が凄く楽しかった。

 

そんな薄汚れた自覚のある性根のため、心を開いた方が良いと言われると、正気か!?ほんとに良いのか!?とその人との関係性が危ぶまれてしまうため、アルカイックスマイルを浮かべるしかなかった。

 

そんな友人と先月愛知であった時、生まれ変わったんか…!?と思うほど心に浮かぶ言葉をそのまま会話に配置されており驚いた。

そして、そこに私も当時はダセェと思っていた言葉をさらっと配置して言葉に発していた驚いた。

 

え、大人になったってそういうこと…!?

 

もしくは、お互い何かの局面でそうなるしか無かったのだろうとも思った。しかし、彼は彼女が出来たことを私に伝えたかなかったと言った。おい!!

 

その時に「そいえばデラックスが東京に行くらしいよ」という話を聞いた。詳しく聞くと芸人を目指して上京すると言う。

それがとても嬉しかった。

 

デラックスとはMURAバんく。にも「デラポリス」としてmvからライブまで出てくれた男だ。

(当時曲名を言うのも何か嫌で、そのデラポリスが習字で曲名が書かれた紙を持って揺れるという演出があった)

彼からもその後連絡があり、東京に来た時にどこかで会う約束をした。

 

当時から彼は非常に面白い人で、語彙と瞬発力と切れ味が恒星であった。(相撲で勝てたこともない)

そして、オードリーの武道館ライブへ共に行き、梅沢富美男の「夢芝居」のイントロで共に涙した仲である。

絶対に応援したい。

 

そんな本日、私のバイトの先輩に吉本の方がおりお声かけするとmvを見てくれていたそうで「あのデラポリスですか!?」も来てくれてラーメンを食いにいった。

そして、あまり聞いたことのないデラックスの本音をそこで聞き、喋ったことのない言葉をまた配置して話した。

 

普段話す時は最早配置する感覚はないのだが、あの時を共にした人と話すとどうにも配置して話す感覚がある。

そうでもしなければ抜け出せられないのだろう。

 

会話をするなかで「どうですか?土屋さんは当時から変わってないですか〜?」と先輩が聞くと少し考え始めそうな雰囲気を察知したので「いや!変わってないよねぇ〜!!ねぇ〜!!」とこっぱすがしい間が生まれぬように無理やり宥めた。

 

彼ともまたなんかできたら嬉しいなあ。

22-10-17 アニメと世代と背伸び

この日はスタジオ練習をした。

その道中でチェとアニメの話になった。

「何か背伸びをしない!って大切だよね」という話になった。

 

以前、飲みの席でアニメにおいての討論が突如始まった。

メイドインアビス」が面白いかどうか。私以外は皆面白いという意見で、大先輩vs私で意見を本音で語り合った。

私はジンジャエールで素面だったのだが、もう歯に衣着せず話そうと向かい合った。

その結果見えたのが、アニメに入った時代の世代間という話に繋がった。

 

私はエヴァからではなく、日常系出身なのである。

 

矢張りエヴァ出身のヲタクは強い。全ての文脈を回収して作品内にある哲学と、それを見た自身の哲学というものを忖度なくしっかりそれぞれが持っている。

自分の追っている人のインタビューなどでこのあたりのアニメが挙がる度に、うぉ〜かっけぇ、おれも観なきゃと思い観てみる。

しかし、途中で止まってしまうのだ。

 

だからこそ、自分をヲタクと呼べない。

そう思っていた。しかし、そうではないのかもしれない。

私はロボット物などを通って来たのではなく、心がぴょんぴょんするんじゃ〜と高校で仲間と盛り上がっていた身なのである。

ヲタクという美学は所謂黎明期の人たちにあり、それに憧れていた。

そう、ただ憧れていただけなのだ。

 

YouTubeで「ごっつええ感じ」をちょこちょこ見たりする。その時も正直笑いどころがちゃんと分かっていない自分に蓋をしてしまい、分かるフリをしているな、とスッと自覚が降りた。

 

アニメにおいても「あ、ここが粋なところなんだ!」と自分の心が躍っていないのに分かったフリをすることがある。

それはヲタク同士の会話でツッコミをする時の手札となり、履修する意味合いで観るのは大切だが「好き」と言えるのだろうか。

 

とはいえ、私が好きなアニメを挙げると「サムライチャンプルー」だったりする。

前も日常系アニメについて散々話した結果、一番はなに?と聞かれた時にふとこのアニメが出た。

00年代のアニメである。

それは自分の通って来た文学や精神性にマッチするものがあり、無意識のうちに感じられる粋があったのだろう。

 

そうとは言ったものの、履修履修と思いながら見ていたら急に面白くなるものもある。

だから、メイドインアビスも全部観るつもりだ。

そして、新しく始まったアニメはちゃんと4話までできれば全部見たい。

それは、面白いアニメとの出会えるかもしれないという希望と、自分の本音を掴むには最適な体験なのだろう。

 

広告的な言葉が飛び交うこの環境だからこそ、常に震わせながらちゃんと平熱の「好き」は持ち続けていたい。

 

そして、上の世代に憧憬の念を馳せるのとリスペクトはまた違うということを肝に銘じてみると、なぜか新たな草原に産み落とされたような気がした。

 

そんな話をチェに話したら「めちゃ、分かります。」と言った。

嘘の感想はバレて痛い目を見るぞという教訓だ。

22-10-16 コズミックガールと日本武道館

夕方に染まる一寸前。腹が減らぬようコンビニで買ったドーナツを食べてHPを回復させていると「着いたよ」とLINEが入った。

 

2019年ぶりの日本武道館

リアルに大名行列の様な流れに身を投げると「物販の出口にいる」とまた通知が入った。

するするとその目的地へ向かうとその姿は見つからず周りを伺った。

すると背面より「ちかとー!」と懐かしい声がして、振り返るとピンク髪に染められた母親が大きな玉ねぎの前に屹立していた。

 

 

え、ピンク髪!?!?!?!?

 

 

普段上記のような書き方をする時は胸中でその丈を叫ぶのだが、この時だけはそうはいかなかった。

久しぶりに会った母親がピンク髪になっているのである。

まあ、とはいえコズミックガールだしな、と一瞬に腑に落ちた。

いや、というか上に合してかズボンまでピンクじゃん…。

まあ、コズミックガールだしな…。

 

そうなのだ、私の周りからはコズミックガールと呼ばれている。

それは幼い頃に黄色のマーチでよく色んなCDをかけていたのだが、その選曲がジャミロクワイから始まりアース、ジャクソン5、スティービーワンダーなどとゴキゲンなものが多いことからそう呼ばれ出したのだ。

 

そう、今日はそんな母親、いやコズミックガールとノラジョーンズのライブを観にきたのである。

私のルーツは結果的に黄色のマーチプレイリストなのだ。

その中でもノラジョーンズはよく流れていたし、自分でも好んで聴いて過ごしてきた多くの日々があった。

それを今日、直接観られると思うとうずうずが止められない。寝不足で来てしまった。

 

ライブ前に近くの公園で近況を色々聞いた。

驚くことにCG(コズミックガール)は地元のローカルFMでウクレレを弾き語りしているらしい…。なんじゃそりゃ。

しかし、そこで我々MURAバんく。の話も出してくれているそうでとても有難い話だ。

 

親戚の状況なども色々聞けて安堵するも、流石に公園でピンク髪ピンクズボンは目立っていた。

ピンク髪に染めた理由も聞いたが記憶が朧げな程普遍的に"ただそうなった"だけであった。

なるべくしてなったのだろう。

 

あっという間にライブの時間となった。

もう入場シーンで頬にツーーーと何かが走った。その何かが横の母に伝わらぬように雰囲気だけは「お、始まりますかあ」と春日を下ろしておいた。

 

まさにあの時習い事までの車で聴いていた音楽が、今のアレンジにより紡がれていた。

そう、それはまさに"最新のカントリー"だったのだ。

ブライアンブレイドのビートに乗るアンサンブル。

これが現地の…!と感動は尽きなかった。

 

ライブ後に神保町でカレーを食べた。

いつも帰省してもゆっくりできないので、久々に母としばらく話した。

 

愛知から越してきて3年弱。公務員に育てようと考えていた両親のため音楽をやるのは猛反対だった。

しかし、家族とはいえ他人であるという価値観を中学の時に宿してしまったため、ちゃんと主語を自分に置いて人生を全うできなければそれはフェイクだ、と間合いを見てスッと上京をした。

心配してくれる気持ちも分かるが、自分においての豊かさはその路線には見出せなかった。

 

思い返せば愛知の頃、基本的にずっと部屋に篭り、人とのコミュニケーションをできるだけ遮断して本や音楽やゲームの世界にずっといた。

周りに話の合う人がいなかったため、話したい話題が出てもブレーキを踏まずに話せば空気は滞り、タピオカ(後にどハマり)や流行りの話題など心底どうでも良かった。

巷の人の大学生という記号に染まるために取る行動にできるだけ距離を空けて生活していた。恐ろしすぎる。

 

そんな自分だからこそ周りから偏愛と言われようが、自分の好きなモノでこの部屋から穴を開けて続く世界へ行かないと他に道はないように感じた。

そして、当時その自分の持つ内側について家族にもお世話になっている人にも誰にも話したことはなく、親も「え、まじ!?」と驚いたであろう。

今思えば皆さんにもちゃんと挨拶して行くべきであった。

 

しかし、難しかった。突然「上京します!!」と宣言したらその相手に1リアクション取って頂かなければいけないという仕事量を増やしてしまう。

だから、カントリー界隈の方々にも就職が偶々東京で決まったと言って上京してしまった。

その時の私は何故か相手に余分に体力を使わしてはいけないという謎の配慮があったのだ。もっと皆さんの懐を感じるべきであった。

 

カレーを食べながらそうだよねぇと母親は言った。

中学の時もずっとギターを弾いてたもんねえ、と。私はすっかり自分がギター少年であったことを忘れていた。たしかに、そうだったなと当時のことを思い出した。

私はクソがァ!!という感情からギターを始めたのであった。

 

道が分からなさすぎるということからホームまで送り、私は新宿方面へ向かった。

小さい頃は全てが退屈で出されたものをただこなしていた記憶があるが、流れていた音楽だけはずっと残るのだなと感じた。

ノラジョーンズの歌声に涙してバレぬようにしていたが、同じくして隣の母親からも似た温度を感じた。

その当時、別の境遇を持っていたのかもしれない。

22-10-15 素朴でブキッチョな

肛門科の主より「自転車には乗るな」と言われたが、立ち漕ぎなら大丈夫だもんね〜〜!と脚の筋肉に全てを預けて西荻窪まで飛ばした。

今日はずっと楽しみにしていたライブがあるのだ。

 

到着して肛門、いやそんなに多用する言葉ではないから以降「門番さん」と称しよう。そう、門番さんに凛々しく敬礼しており特に異常はなく、会場のドアを開けた。

すると「おーー!」と赤髪の大先輩、厚海さんが手を振ってくれた。

お話しされていたので軽く会釈をして、紅茶を頼み最前の端の席に腰をかけた。

 

最近ライブを観るときはできるだけ前、且つ演者の視界に入らないポジションに着くようにしている。

遠巻きで俯瞰して見るのも勉強になるが、今の私が感じたいものは最前にきっとあるのだ。

 

少しすると西尾さんがピアノに着かれた。

すると、厚海さんは弓を構えピアノの旋律にフルートの息吹が合わさった。

そう、本日観に行ったライブはソボブギである。

編成もとても素敵な6人編成で、西尾さんとドラム光永さんベース厚海さんのアンサンブルは2019に晴れ豆で観たguiroのライブ以来である。

 

もうとても最高なライブであった。要所要所で動画を撮ろうとするも容量が一杯で、その度にアプリを消して何とか映像に残すことができた。

 

私は西尾さんの鍵盤がたまらなく好きだ。優しくありながらも狂気性を孕んでおり、しかしゴキゲンであるというバランス感覚。

何かに当てはまるように表すのは無粋だが、ビルエヴァンスにエリックサティにドビュッシーの風がさぁ〜っと吹き抜ける瞬間があり胸にそよぐのである。

しかし、何とも形容できぬそれは西尾さんの鍵盤なのだ。

 

ば〜〜〜りばり!はい、ば〜〜〜りばり!

あれからふとした時に脳でずっと流れるよ…。

鐘のようなでっかいオキンタマを揺らし、二拍手一デコ。

 

厚海さんも全部初見での参加と仰っていたがめちゃくちゃにかっこよかった。

これまた厚海さんのベースなのだ。

ジャズから祭囃子まで、フュージョンの雰囲気あり音作りに高音のスライドによって生まれるフレーズは筋斗雲の如し。

いや〜〜、こりゃ最高だった。

 

最前にて余韻に浸り豆奴さんとお客さんが話しているのを盗み聞きして、なるほど〜と思っていたら「お久しぶり」と西尾さんが声をかけてくださった。

最後にお会いしたのがコロナの前であったため、改めてしっかり挨拶しようと思っていたら覚えてくださっており嬉しかった。

 

「こんな感じでごめんね〜」と以前愛知でズビズバーの時にも仰って頂けたが、それは私のむっつり感がそうさせてしまっている気がする。

爆笑してるのだが、側はきっとそうなっている。

とはいえ「いやいや!めちゃくちゃ好きです!」と言っても何かをフォローするような空気感を孕んでしまうだろう。

 

しかし、この日は「そんなラジオばっか聞いてます」と言うと「ほんと〜?」と少し伝わった感じがして良かった。

チェの車での移動中なんて、それはひどくしょうがないものである。

 

兎にも角にも最高のライブで、帰りにテンションが上がってしまい一人で駅近のラーメンを爆食いした。

それから、帰宅後ゲーム配信の方法がわかったので実際にやる予定だったのだが、久々の自転車がやっぱ涙が出るほど最高で青梅街道をずっとグルグルした。

受けた刺激を馴染ませるようにグルグルグルグルと。

私もあんなクールでゴキゲンなライブをやりたい。

22-10-10~14 神無月中旬の総集編

 

----------10日「タイムマシン」----------

 

この日何やったんだっけ…。

たしか流石に疲れパイセンに圧倒され悪びれてしまい、結局14時ごろにちゃんと起きた記憶がある。

ジャケの反応を色んな方に聞いたり、何かまとめたりして…。

 

その後、たしか本など読むかあと用意したが、、

あーーー!!!

『四畳半タイムマシンブルース』のアニメ版をディズニー+で観たんだ。

 

ああ、しかも書きそびれたな…、私は公開の翌日に劇場に観に行った。

大好きなもりみん作品、かつ四畳半、かつ監督は我らが夏目慎吾監督だ。

夏目慎吾監督、大好きだ。

 

改めてパンフレットなどでインタビューを回収し、なるほどおと思いながら見返した。

その時に「私は私でも私じゃない、今作は四畳半から出なければならない話」のようなコメントを監督がされていた。

 

まさにこの一年の私のテーマであった。

ずっと「私」ではいられないのだ。いや、いられることもできる、しかし、それこそ四畳半神話体系なのである。抜けなければ新しい「私」でいられないのである。

 

その感覚があるから、今『四畳半神話体系』を私は観られない。怖いのだ。一度キルした「私」のゾンビと会うような…。(言い過ぎだが)

 

この話においてはまた単体の文章で残したい。

この日は流石に休暇だとその後スプラトューン3を立ち上げ、久方ぶりにコントローラーを持った。

 

鼻で大きく息を吸う。細胞に響き渡る振動。

私はこの日、ウデマエを試すモードで牛蒡抜きし、あっという間に上位のランクまでいけた。

怖い怖い怖い。

 

----------11日「初⭐︎肛門科」----------

 

深夜に目が覚めた。

 

────── 肛門が痛い。

 

くそっ、折角の休みを謳歌した挙句がこれか!?

私は立ち上がった。

 

ウガッッッ

 

もう通常の状態じゃ立てない。なにこれ!?

恐らくその時の私は大きく内股であり、所謂モニカ状態であり、その時私は焦った。

 

 

────── モニカ病……!?!?

 

 

星野源の提唱した深夜に突発的に肛門に激痛が走り、モニカを歌う吉川晃司の如く地を這う現象である。

いや、普通に痔!?こわ…!!

 

交通費もままならぬ翳る財布も叩くしかない。

起きたら直ぐに最寄りの肛門科へ行こうと、そんな理由で休む申し訳なさを偲ばせながらバイト先へその旨を連絡し、布団に縮こまった。

その旨とはもちろん「肛門科へ行く」ということだ。

 

起きて最寄りの病院へ電話をする。

折角直したBダッシュ号にも座れず、立ち漕ぎで病院を目指す。

 

あああ、ダメだ。これまた長文になってしまう。

この話のオチは色んな覚悟を持った上で訪れた肛門科のじいさん医師に「力んでるねぇ!」とお尻を軽くスパンキングされたというものだ。

 

その後状態をチェックされる際。

「ん〜〜、綺麗な肛門だけどねえ、ねえ?」という医師の投げかけに「はい!綺麗な肛門です!」と姐さん看護師さんの快活な返事に、安堵となんとも言えぬ感情を持って処方箋をもらった。

 

今でもあの快活な「はい!綺麗な肛門です!」という返事が私の耳の中でする。

肛門に異常は何もなかったようだ。

モニカ病じゃねえか!!!

 

----------12日「味噌汁納豆」----------

 

バイトが終わり夜の高円寺にてスタジオ練習。

帰宅後に脳死で味噌汁に納豆入れて食べたら鬼のように美味かった。

じいちゃんが昔教えてくれた食べ方。

明日の朝も食いたい。

 

----------13日「味噌汁納豆」----------

 

バイト後、お誘いして頂いたイベントに少しだけ挨拶をしに向かった。

前月リリースした「うんたら紀行」を聞いてくださっており、感想や個人的な解釈を話してくださりとてもおもしろかった。

 

はじめて作った当初は自分たちのアイデンティティとしての曲だった。

しかし、改めて今回リリースした理由は"それぞれで楽しめる曲"になってほしいという願いがあったのだ。

それがちゃんと伝わっているような気がして嬉しかった。

 

成仏ソングと言ってきたが、浄化せねばならぬ呪いのような何かはきっとあなたの生活にもあるはず…!

そのBGMとして、そっと支えられたら我々一同本望である。

 

バンドと話から自分のルーツの話になり、ビッグバンドやカントリーの話をしていたらいつの間にか話題はアニメの話になっていた。

もうそれは側からみたら"キモい"と思われてもしょうがない。

その方とは根っこの部分での共通項があり、矢張り行ってみて話してみないとわからないことだらけだなと感じた。

 

その後、アニメイトのアニメ番長?と同じレベルの出力を持つバイト先の先輩・いぇニキに泊めさせてもらった。

その後、CDのジャケ制作大詰め会議を玄関前にて行いゴールがもう間もなくとなった。

 

会議が終わり、いぇニキとひとしきり冗談話をして6時起きに絶望しながら爆睡した。

 

----------14日「補給」----------

 

早朝に目が覚める。

あれ?わい、最強じゃね?とさっと支度をしてお邪魔しました…とすすすといぇニキ宅から駅へ向かう。

 

そして、22時ごろ帰宅しふぁーーーっとまた味噌汁に納豆を入れてみる。

食う。

 

あれ……、あの時の美味さレベルが………

ない………!!!

 

ま、また別の日にもう一度買って確かめてみよう。

意識は朦朧としかけていたが、ずっと楽しみにしていた配信の番組が2本とMCUドラマが2本あった。

絶対に観ようと楽しみにしていたのだ。

 

それがまあね、、最高過ぎまして、、。

『シーハルク』の最終回もね、これは語りたいレベルですよ。。こんな広い場所で悪ふざけできちゃうの、本当にかっこよい。。

『じゃないとオードリー』もね、良すぎて2回見て2度涙がツーーと流れるというね。。

バカリズム脚本の『住住』もね、びびびもんですよ。。次が最終回だなんて…。

 

配信に救われている。もっというと水曜、木曜、金曜に救われている。

そんな日々よ。

22-10-01~9 神無月上旬の総集編

現在10月12日。

 

----------1日「バンド」----------

 

本日もミックスの調整。小田氏とリモートで行っていく。

マスタリングがもう近いため緊張感を持ちつつも、遊ぶ気持ちと居心地の良さを感じられるようなイメージに落ち着かせていく。

 

それはまさに音の世界観とその一音一音の辻褄を合わせて"伝える"ものに変換していく作業である。

今作は特にその調整作業がとても楽しく、其々の特性が現れて楽しかった。

 

"バンド"という言葉と雰囲気が私は好きでなかった。

それはある種プレイだ、と学生の頃ずっと思っていて、所謂の"バンド感"というものに対してずっと敬遠していた。

だからこそ、このバンドで自分が責任を持ってやり切るところまでは一人でやりきらねばならない、と。

 

しかし、今回はその感覚が其々に分け合うことができ、それぞれが俯瞰しながら真剣に見つめるというプロフェッショナルさが獲得できた気がした。

理想とする"バンド"像が見えた気がした。

その上でふざけるというのは、ある種興奮ものである。

 

視界が狭まると怖い。しかし、ここだけはというところはちゃんと貫き通したい。

絶対的な自信がある場合は、ちゃんと相手に汲んでもらえるように遊び心も混じえ伝わるように考えたい。

HPも使うことだし大変ではあるが、それが伝わればお相手にかかるエンジンによってさらに作品は面白くなるのだ。

とてもスリリングかつ、ワクワクなのだ。

 

今作はその皆んなの俯瞰したプロフェッショナルさが詰まっている。

 

----------2日「背水の陣」----------

 

そんなプロフェッショナルどうこう言えた立場でない。

なぜなら、

 

!!!アウトロの曲が思い浮かばない。!!!

 

まずいね。マスタリングは明日だ。

 

!?!?!?マスタリングが明日だ。!?!?!?

 

 

万策尽きたーー状態の昼。

イメージはあるも、それを形にすれば真似っこになる感じもして、頭の中で色んな掛け算を試して見る。

 

Uberでケンタッキーで2000円分のバーガーを頼んだ。四つだ。

こんなにもお金かけて昼食ったんだから…!?!?と自分を追い込むためだ。

初めてUber。ケンタッキーのバーガーは激うまであった。

 

しかしできない。できないものはできない。

先日秋葉のスーパーポテトでやっとみつけたファミ通waveのDVDを見ながらぼ〜っとロフトにかかる階段にもたれかけていた。

 

そういえばティッシュが切れたんだった。あぁあ、スーパーに行くかぁぁ。

復活したBダッシュ号に跨り向かった。

 

やっぱちゃりんこはいいなぁ〜といつの間にか秋めいた風を分けて走っていた。

すると………

 

♪♪♪

 

………っは!!!

メロディが………見えてきた………!!!!!

 

急いでボイスメモに取る。

帰宅後すぐに鍵盤とDSiを立ち上げ作った。

結果バンドブラザーズで作ったメロディが採用になり、それを小田氏に投げ、またリモートを繋げて共に仕上げた。

 

できたぁぁ〜〜〜〜〜!!!

無事マスタリングへ乗り込みである。

いざ!

 

----------3日「マスタリング」----------

 

初のマスタリングスタジオへ。

実物の小田氏とはREC以来の再会だ。

今回担当してくださった風間さんも凄く気さくで面白くて、なによりものづくりの姿勢が"音楽ヤンキー"であり、とてもワクワクとゾクゾクする提案が飛び交い最高であった。

 

無事にマスタリングが終了した頃、外はもう暮れかかっていた。

帰り道、丸山氏と小田氏と3人で神社に登った。

確かな手応えと、新たに何か開かれたような。

まじっくあわーにへとへとに凭れながら冗談を話した。

 

聴いてもらうのが楽しみだぜ。

 

 

----------4日「背水の陣-2-」----------

 

昼過ぎにロイヤルホストへピットイン。

リリースに向けた文章、資料作りに打ち合わせがてんこ盛り!

わーーー!!

 

パフェとは知性だと朝井リョウが何かで言っていた。

己を追い込むため普段は3色アイス?とドリンクバーでなんとか粘るのだが、今日に限ってはパフェを頼んでやったのだ!

その時にもちろん藤井隆のことも思い出したが、またそれと関連して朝井リョウの動向を思い出した。

 

その当時私は聴けなかったのだが、ラジオでロイホ(敬称略)のスイーツ開発の方と対談されており、その方についてネットサーフィンしてパフェが来るのを待った。

 

このあたりについて書くとなるとやや長文になるあめ今回は割愛させていただこう。

とにかく、ロイホのパフェには物語があった。

(まさかオチに冒頭の布石が回収されるとは思っていなかったよ…)

 

この日ドリンクバーは烏龍茶しかほぼ飲まなかった。

追い込むためコスモドリアも食った。

夜になっていた。

そんな一日であった。

 

----------5日「ジャケ作り」----------

 

バイトが終わりMURAバんく。でざいん部のメンバーでジャケット会議。

この日に方向性がぱちっと生まれた。

 

----------6日「スタジオ練習」----------

 

バイト後、阿佐ヶ谷へ。

今度の新宿ロフトライブから、twinドラム編成になる。

これがね、より整理されてより踊れる、そしてアバンギャルドな、超良いバランスが見えたのです。

今これを見ているあなた!平日の夜新宿まで来れるようでしたら絶対来て!

後悔はさせないですぞ…!

 

----------7日「わーー!」----------

 

野暮用で朝から国際展示場まで。

基本守秘義務に全身覆われているためなにも書けない。

 

ただそこで会ったニコニコの話で盛り上がった方がまさかの年齢が16歳という…!

私の知るボカロは完全にクラシックと化している今、そのあたりも網羅されておりまさに恐ろしい子…!であった。

 

とは言ったものの、16歳だとはいえ人生の先輩のような貫禄があり話すのに恐れ多かった。

しかし、ブレーキを踏まぬヲタ談義ができて良かった。

 

----------8日「わーー!!」----------

 

本日も5時に家を出た。

早すぎる、早すぎるよ!!!!!

 

前日同様守秘義務のため何も書けず。

野暮用が住んだのち、私は上野の方まで電車に乗った。

 

大好きな方々がそこで呑んでいるというのでお邪魔して、久方ぶりにビールを呑んだ。

40年代のジャズばかり聴いてて、そのあたりの音楽に造詣の深すぎる先輩方なため色んな音楽を教えて頂けて最高だった。

 

「飲み会が好きです」といえる人間になりたい。というか、なれるんじゃないか?と希望が生まれた。

帰り際、酔っ払いながらホームでセブンティーンアイスを帰りが同じになった先輩と共に食べたのは最高に美味かった。

 

どんなけハードでも、こういう瞬間があると相殺されエネルギーがまた生まれる気がする。

というか、そうでもしないと怖いぞ、10年後。(完)

 

酔いの勢いか曲ができた。

 

----------9日「わーー!!!!!」----------

 

ヘトヘト。the・ヘトヘトよ。

今日がついに最後日、お疲れ様です、お疲れ様ですよ…。

これまたエピソードは鬼のようにあるのだが、何も言えない…。

ただ、思い出になるまで。それも良いか。

 

帰宅時駅のホームに向かうまで。

 

恋の一つや二つが生まれてもこりゃおかしくないぞという協力プレイものの野暮用であった。

しかし、違った。私の生まれた星は違うのだ。

 

駅のホームでハッとした。

気づけば周りにヲタのお兄さんたち二、三人に囲まれている。

「◯◯ニキ、◯◯ニキー!」と慕ってくれる良ヲタの二十歳前の子から先輩らしき方。有難い。

無事にDiscordも交換でき、継続的な付き合いが生まれた。

これもこれで楽しい世界線よ。

 

ご飯は共に行かず、バンカラ地方で会う約束をして直近した。

 

22-09-25~30 長月の総集編(2)

怖い話その2。現在10/9である。

矢張り日記はその日に書くのが良い。

記憶の鮮度が圧倒的に落ちてしまうのだ。

 

ということで、鮮度抜群〜!な総集編(2)。

いざ、タイムスリ〜〜ップ!

 

----------25日「スウィンギン」----------

 

高円寺にて最後のスタジオRECが終わった。

いやっふ〜、あぶねぇ〜。普段あまり使わぬ言葉だが「バイブス」の結晶音源ができた。これはやっばい。

そして、ついにチャリンコを直しに阿佐ヶ谷へ向かった。

 

今年は凡ゆるモノがぶっ壊れた。

年始にモニターにパスタの茹で汁がぶっかかるという珍事件から始まり、iPhone×2、iPad、チャリンコ、そして挙句軽症だったがコロナにキル!されるという始末。

散々だぜ…。

 

しかし、私のこの手元のiPhoneは6から11へと移り変わった。モニターも代わり(小田くんに借りてる)iPadだけは何故か二世代に退化してるという現状だ。

 

我が愛馬"Bダッシュ号"(以後"B")だけが派手にパンクしたまま、部屋の片隅でうずくまっている。

そりゃそうだろう、ふらりと街乗り用で組み立てたのに、1日30kmを走るなんて聞いていなかっただろう。外のタイヤまでもが破れてしまった。

 

チャリンコ生活から降りて、もう半年になる。

今月イラスト関係で臨時収入がゲットできたので思い切って修理に出した。

予算をできるだけ低くしてもらえるよう交渉して、Bをそこへ置いて私は向かった。

ちょっと寂しいなんて言える立場では無い。お互い強くなって再会しようやあ⭐︎と拳を合わせる様にして、私はレコ屋へ向かった。

 

阿佐ヶ谷オントエンリズムストア。

MURAバんく。のライブでもDJをやっていただいたり、とてもお世話になっているお店である。

その店主アツシさんにこの日も色んな音楽を教えてもらえた。

 

矢張り私はスウィングが好きだ。優等生でなく不良感のあるスウィング。

その中にある遊び心に粋を感じるんだな。

色々聴かせて頂く中でハッキリとした。

エディラングか謎のオーケストラ編成のビッグバンドのLPか。この二つのどちらを買おうか悩んだ。

 

「人間の生物としての不思議さ」。

リズムの話をする中で改めて人間って変だよねという話になった。

なのに無理に押し並べて考えるのって何なんだろうか。それって誰かにとって都合が良いことであったり、安心したいからなのかな。

んん〜〜と小粋なリズムの鳴る中でもっとその不思議を楽しんでいきたいよねぇと話をした。

 

お会計を済まし店を出た。そして右手で揺れるビニール袋からレイモンドスコットの笑みがちらつく。

 

なんで??

 

そのビニールの向こうにはエディラングでもなく、謎のビッグバンドでもなく、レイモンドスコットがいる。

ずっと手が届かぬ価格帯の2枚組(豪華ライナーノーツ、特典付き)のずっっっと欲しかったモノである。

あ、そうだ。

 

 

臨時収入使っちゃったああああああ。

 

 

しかし、これでいいのだ。

話す中で「すみません、レイモンドスコットの見本ちょっと見させてもらっていいですか?」とその箱を開けて、何かの折なる感覚があったのだ。

これを今買おう。

 

街はまだ夏の残り香のする中、冷ややか胃を隠すように静かに小走りで帰った。

 

それから時空は流れ深夜。スプラトューン3のフェス最終日。ひょんなことから休職中のキャバ嬢の方と共闘し朝の4時までプレイした。

闘うなかでの会話しかしていないが、その中でコロッと面白いこと言いてぇ〜〜衝動に駆られ、何度かスッと仕掛けてみた。

 

すると流石。どんな下手な球でも拾ってくれ、綺麗に投げ返してくれる…!

プロの技を見た。またいつか闘いましょう。

 

----------26日「掃除」----------

 

昼前に起きるとゴミ箱がかき氷の様になっていた。

………やっば。

 

思い返せばここ最近は部屋に居ても何か作業や連絡ごとがあり、終わった途端にシャッターを閉じるようにしてTVerかゲームの世界へ引き篭もっていた。

生活が疎かof疎かであったのだ。

 

よし、こうなったら模様替えをしよう。

 

ベランダに初めて出た。

向かいが直ぐ別のアパートのためタイミングを間違えると最悪なことになるだろうが、この狭い空にも清々しさは存在していた。

虫とか出たらショックだ…とずっと敬遠していたのだが流石に住んで2年経つとベランダにも信頼のある距離感が成り立っていた。

 

やるなら今しかねぇ!ズッラッァ!

やるなら今しかねぇ!ズッラッァ!

 

この五畳半はこんなに広かったのか。

万年床の周りには、書物やCD諸々で敷き詰められていたことをその時の私はまるで自覚していなかった。

視野狭狭である、これが怖いぜ…。

 

とりあえず部屋の半分がだいぶ綺麗に、また機能的になった。

夢眠ねむが2年単位で自分の中のものがガラッと変わる、と言っていた。その言葉を最近よく思い出す。

ずっと残るのは私の集めたモノたちだけか。

 

その後丸山氏と共に打ち合わせのため吉祥寺へ向かい、その後はレンタルチャリを借りやじスタへ向かった。

この日も明けるまでの作業となった。

 

----------27日「バグ」----------

 

朝日も透ける靄の中、我々は何かを倒したような清々しさでレンタルチャリを漕いだ。

夜が徐々に明けていき、川沿いの工場地帯息を吹き返したように朝日に染まっていった。

丸山は自宅へ向かい、私はまたカツラさん宅に泊めさせてもらうことになった。

 

途中でスーパーに寄り「鬼の様に腹減りましたね」とおにぎり弁当(?)と冷凍餃子をカツラさんが作ってくれて、早朝から爆食した。それはそれは美味かった。

 

少し寝て、野暮用があり私はまた吉祥寺に戻り、その後またカツラ宅へお昼過ぎに戻った。

ここは美味いとずっとオススメしてもらっていた町中華?屋にやっといけるぞ、と静かにテンション高めにお店まで向かった。

 

スタミナ丼を戴いた。これが兎にも角にも美味かった。

チェの言うalive飯というものだ。

こりゃ元気がでますねとまたレンタルチャリに跨りやじスタへ向かった。

 

ミックスを進め、Spotifyポッドキャスト「超ケンコーばなし」を録り(登録せずでも聴けるよ!聴いてね!!)私はまた吉祥寺へ向かった。

 

沖津氏と合流し、明日に控えた月一修行ライブ「でんじは」に向けて数曲特別編成として行おうと井の頭公園まで行った。

と、思いきやインドカレー屋にてナンを爆食いし、ほしのあきの話をして、ようやく井の頭公園に辿り着いた。

 

公園入り口の階段で弾き語り風にしていれば人が止まるのでは作戦を実行し、何か弾いて歌っていたら「あれ、とたけけの曲じゃね?」とギャラが立ち止まった。

 

ごめん、ちがうの。この曲に限ってはとたけけの曲じゃないの。

 

ピッピの指を振るを使った気分であった。(完)

 

----------28日「でんじはvol.2」----------

 

フルタイムで働いた後のライブは謎のエンジンがかかる。

声が出るというのもあるが、何か強気でいけるしがするのだ。

これが良い方に向くか悪い方に向くか。

こればかりは今の自分じゃ扱いきれない問題なのだ。

 

下北沢げによちにて開催された、この日の模様はまた動画にまとめる所存である。

 

何より嬉しかったのは、まだ私が愛知に住んでいた頃から唯一の東京の友、樋口氏と久方ぶりに再会できたことだ。

数ヶ月前までイギリスから帰省し、変わらず飄々とした雰囲気の中、より明るくなっている印象を受けた。

 

この日、チェ(はDJ)や小島えもも来てくれていたため樋口氏も色んな人と再会できて良かったと話しており良かったぜ…!とグッドラックであった。

 

「実際に人と会えば全然話せるんだよなあ」とカウンターにて話した。

そうなのだ、はじめの一歩がかなりハードルが高くとも何か共通項さえあれば「え、さっきまであんなに静かだってのに、こんな喋るの…」と引かせてしまうほどに話せるのだ。

(無い場合はそのまま空気になります)

 

人見知りでもコミュ障でもない。どんな相手でも根底にはその人の人となりを知りたいというキモい好奇心があるということだ。

そして、そういう人が自分自身苦手でもあり、相手の気持ちも察することができ、曖昧な感じでぼやかすことが多いのだろうか。

 

ライブが終わり幡ヶ谷まで移動し二郎系のラーメンを食った。

美味かった…流石に染みたぜ……。

また!と樋口氏と別れ時間も遅くなってしまったが、明日も早番なため近くの先輩の家へ泊めさせてもらった。

 

お邪魔します〜と部屋に入ると「おう、土屋、お疲れぇ」と今日もアニメイトアニメ店長の様な佇まいでどっしりしている。

この漢についてはまたどこかで特集したいものだ。

おやすみなさい。

 

----------29日「にんにく」----------

 

バイト帰り原宿へ寄った。

昨日の「でんじは」に来てくれた方がなんとシンセ屋の店員さんだと聞き、私の気になってる界隈がそこにある…!?ということで「明日行きます…!」を実行した。

怖いねぇ〜。

 

ところがどっこい、その店員さんはまさかのおやすみであり、途端にその場でアウェイ感に苛まれたのだが、はいはいこのシンセね、知ってますよぉ〜という体裁で音を聴いてみた。

もうたまんない音が幾つか見つかり、メモしてまたいらっしゃる時に話を聞こうと帰った。

 

新譜の一曲がまるで終わっていない。

 

その後、昨夜の二郎系がまた無性に食いたくなり、あ、多分バカみたいなにんにくを食いたいんだと気づき高田馬場へ向かった。

好物である台湾まぜそばを食いに行こう。

 

「はなび」という店が好きなのだが、高田馬場にあるのは姉妹店の別名の店。

んん〜〜、うまいが矢張りこれじゃない感が募った。

これじゃないんだ…。

 

新譜の一曲がまるで終わっていない。

 

帰宅した後の記憶は何処へ。

 

----------30日「ジャケット」----------

 

日中で何があったか忘れてしまったが、夕方からバイトに出た。

その後、北の方まで上り小島えも宅にお邪魔した。

ジャケを完成させるのだ。

 

去年までのMURAバんく。のジャケットは全て私が手掛けていたのだが、今年は信頼できる絵描きの方、同郷の先輩にお願いした。

そうすることによって、良い距離を測れるんじゃないかと思ったのだ。

今回の新譜は、コンセプトだったり企画を担当して、とあるジャケを小島氏にお願いしていた。

 

これが、またすごい良かった…。

はやく見てほしい〜。。

細かい調節なども話し合い気がつけば深夜も朝方に変わろうとしていた。

そんな毎日も"びびび"があれば悪く無い。