USの友達と焼き肉食べ放題
アメリカの友人と焼肉を食べに行った。
もっと詳細に言えば幼馴染だけどカルフォルニアにずっと住んでる(夏だけ日本に来てた)友人とその仲間たちと焼肉食べ放題へ行った。
再開するのは彼女が日本に留学していた3年前以来だ。
友達も一緒なんだけど日本に遊びに行くからご飯でも行かないかとラインが届き、私は嬉しく即答した。
しかしそれから、刻々とその日が近づく度に些細な不安が募る。私は思い出したのだ。留学中の彼女のストーリーズ(インスタ)を──。
もうね、もう兎にも角にもイケイケだったのだ。
多角的に敷き詰められた青がかったガラス張りの空間で爆音が反射しまくっている。
幼馴染あるあるなのか、今や住む世界線がちょっと違うということだ。
しかし、問題なのはその場に馴染めるかどうかではない。それ以上にその場の空気を壊してしまわないか。また、変な空気を無意識に醸し出してしまい気を遣わしてしまうのではないかといったところの不安たちである。
それとは裏腹にその日はあっという間に訪れた。
集合場所は原宿。さあ、私もついにあの画面の向こう側へ行く時が来たのか……!
私はそっとほぞを固めることに成功し部屋を出た。
そう、その時の私は僅かな勝ち筋を見出せたのだ。
あくまで、この日のメンバーは彼女と彼女の友人達(アメリカに住む)だ。
彼らは尾張出身の私の身など知る由もない。
つまり、その日私は変幻自在に立ち回れるということである。
ふはははははははは。待ってろ、原宿。
もういっそアゲアゲのアゲのテンションで臨もう。
「Hi〜!!!」とみんな、どう?やってるかー!?☆くらいの自分を目覚めさせ加勢しよう。
そんな気合いは靴に備え付けられたジェット機の様、私は勢いよく位置情報を確かに飛んで向かった。
その結果、この原宿焼肉食べ放題は終始、かなり落ち着きのある良き時間であった。
肉も美味い、そして幼少期の懐かし話に花が咲き普段は飲まぬビールまで頼んでしまった。(調子乗んな!)
小学生の頃、夏になると彼女とその妹の姉妹が実家の近所にやってきて、その家庭(おじいおばあちゃん)が喫茶を営んでおり当時そこでずっと遊んでいた。
今思い返せば愛知県ならではの粋な空間であった。
日本に無いゲームを持っていたり、見ない飲み物を飲んでいたり、英語でめちゃくちゃに喧嘩していたり、上の階にファミコンがあったり…。
そういうことに関する記憶力だけはしっかりあるのだ。
かなり流暢になった発音で「なんでそんな覚えてるの!?」と皆んなで笑いながら焼き肉を食べた。
しかし!!!
予期せぬところに問題が発生していた──。
みんな、食べ放題なのに全然頼まない!!!!!
え、こんな頼まないの!?
食べ放題だぜ!?
食べ放題なんだぜ!?!?
もう食べ放題という言葉に拘っているのは私しか居なかった。空気を見れば即わかってしまった。
もう皆はその外側におり、小粋に酒を嗜んでいる。
我慢できない、米が欲しい。
私はへらへらしながら、大ライスを頼んだ。
突然あらわになった己の食欲に引きながらも、その客観性すら打ち砕き奥底で黒光るサムライソウルを表に貫き通した。
最早この会における"心配"の主題は変わっていた。
さあ、この落ち着いた状況下で如何に肉をたらふく食えるか、いや注文できるかどうか、だ。
人間というものは怖いものである。
それまでは「空気を壊さないように〜」「気を遣わせないように〜」と清らかな佇まいでありながらも、無限の肉を目の当たりにした瞬間、修羅と化すのだ。
「さっきの美味しかったよねぇ〜また頼もっか〜」と共感を得ながら別の関係のない肉を間にこっそり頼む。
それを繰り返していたら、いつの間にかテーブルには大量の肉がのたうち回っていた。
挙句の果てには冷麺とラーメンまでもが跋扈している。ふはははは。
最強のテーブルの完成である。ようこそ。
そして、案の定限界というものは早速訪れるものだ。
周りはもうギブアップ、しかし私はそんな素振りを見せるわけにはいかない。
なぜなら私しかほぼ頼んでいないから!!
なぜかその時、私は日本を背負っている感覚に居た。
しかしながら、私の据えている精神は「食べ放題なば腹を壊すまで!!」だ。さあ、勝負をつけよう。
阿鼻叫喚の食べっぷりに流石のジャンキーたちも目を丸くしていた。
しかしね、ここまでの雰囲気で何となくわかるように、その仲間達は本当に凄く優しい方々であった。
私も思わず素の溌剌を全開に話してしまった。
何故なら「音楽」「ゲーム」「アニメ」といった話せる共通項があったからである。
それは最早"ボイチャ"なのである。
※ゲーム中のボイスチャットなら誰とでも話せるスキルが身についている…
店を出て街のイルミネーションの前で写真などを撮った。私も全力で映った。
それから、散歩しようと歩いていたのだが、その時にはもう彼女の彼氏とその親友とずっとアダルトスイム(日本で言うキッズステーション)の話で盛り上がっていた。
幾千もの光りが身体に流れ行くなか「ん?」とふと思った。
あれ…??
おれ英語喋れてんだが。
あれ!?べらべら英語で話してね!?
「このアニメの監督はあの監督の後輩にあたる人でその文脈込みで良いんよ〜」「見る人によって好みは変わっちゃうかもしれないけど、おれはめっちゃ好こ。絶対に見てほしい。」
私は英語で話していた。流暢でなくとも、ヲタ同士の速度での会話が成り立っている…!
最終的には友人の彼氏の親友の彼女さんと70年代の音楽の話で大盛り上がりした。
その後、渋谷のドンキーでひたすらお土産&おやつ用のキットカットの限定の味を探して紹介しまくった。
なんか帰国子女の人が留学して「感覚が変わった!」という話が少し腑に落ちてしまった。
敬語が無い文化が、矢張りいつもの日常と違って凄く面白かったし楽であった。
だからといって近すぎない。敬語がないからこその「礼儀としての距離感」というものがまた絶妙なものであった。
つまりは「失礼にならないか…!?」と気にして外堀を埋める労力が不必要で0か100みたいな、上手く言語化できないが、それが楽しかった。
そして一番この時あ!と思ったことがある。
それは、この時は相手もアニヲタで制作会社についてまで語れる人だったという稀なケースであったが、本当に好きで伝えたい奥底にあるものってフィーリングの方が絶対的に伝えられる、そんな気がした。
説明や小細工などは寧ろこの場合無粋な気がしてしまった。
明治文学ばかり(をちょこちょこ)読んでいた自分にある粋を改めて見直さないとと一寸焦った。
その後、渋谷を歩いていたら一蘭を見て「早朝に行ったわ〜」と言う彼女にイケイケじゃん!!とちゃんと突っ込むことができた。
するとあん時はね〜と笑っていて、何か全てがおもしろく綺麗に落ちがついたようで嬉しかった。
今度は私がカルフォルニアに遊びに行きたいなあ。