22-10-17 アニメと世代と背伸び
この日はスタジオ練習をした。
その道中でチェとアニメの話になった。
「何か背伸びをしない!って大切だよね」という話になった。
以前、飲みの席でアニメにおいての討論が突如始まった。
「メイドインアビス」が面白いかどうか。私以外は皆面白いという意見で、大先輩vs私で意見を本音で語り合った。
私はジンジャエールで素面だったのだが、もう歯に衣着せず話そうと向かい合った。
その結果見えたのが、アニメに入った時代の世代間という話に繋がった。
私はエヴァからではなく、日常系出身なのである。
矢張りエヴァ出身のヲタクは強い。全ての文脈を回収して作品内にある哲学と、それを見た自身の哲学というものを忖度なくしっかりそれぞれが持っている。
自分の追っている人のインタビューなどでこのあたりのアニメが挙がる度に、うぉ〜かっけぇ、おれも観なきゃと思い観てみる。
しかし、途中で止まってしまうのだ。
だからこそ、自分をヲタクと呼べない。
そう思っていた。しかし、そうではないのかもしれない。
私はロボット物などを通って来たのではなく、心がぴょんぴょんするんじゃ〜と高校で仲間と盛り上がっていた身なのである。
ヲタクという美学は所謂黎明期の人たちにあり、それに憧れていた。
そう、ただ憧れていただけなのだ。
YouTubeで「ごっつええ感じ」をちょこちょこ見たりする。その時も正直笑いどころがちゃんと分かっていない自分に蓋をしてしまい、分かるフリをしているな、とスッと自覚が降りた。
アニメにおいても「あ、ここが粋なところなんだ!」と自分の心が躍っていないのに分かったフリをすることがある。
それはヲタク同士の会話でツッコミをする時の手札となり、履修する意味合いで観るのは大切だが「好き」と言えるのだろうか。
とはいえ、私が好きなアニメを挙げると「サムライチャンプルー」だったりする。
前も日常系アニメについて散々話した結果、一番はなに?と聞かれた時にふとこのアニメが出た。
00年代のアニメである。
それは自分の通って来た文学や精神性にマッチするものがあり、無意識のうちに感じられる粋があったのだろう。
そうとは言ったものの、履修履修と思いながら見ていたら急に面白くなるものもある。
だから、メイドインアビスも全部観るつもりだ。
そして、新しく始まったアニメはちゃんと4話までできれば全部見たい。
それは、面白いアニメとの出会えるかもしれないという希望と、自分の本音を掴むには最適な体験なのだろう。
広告的な言葉が飛び交うこの環境だからこそ、常に震わせながらちゃんと平熱の「好き」は持ち続けていたい。
そして、上の世代に憧憬の念を馳せるのとリスペクトはまた違うということを肝に銘じてみると、なぜか新たな草原に産み落とされたような気がした。
そんな話をチェに話したら「めちゃ、分かります。」と言った。
嘘の感想はバレて痛い目を見るぞという教訓だ。