22-10-16 コズミックガールと日本武道館
夕方に染まる一寸前。腹が減らぬようコンビニで買ったドーナツを食べてHPを回復させていると「着いたよ」とLINEが入った。
2019年ぶりの日本武道館。
リアルに大名行列の様な流れに身を投げると「物販の出口にいる」とまた通知が入った。
するするとその目的地へ向かうとその姿は見つからず周りを伺った。
すると背面より「ちかとー!」と懐かしい声がして、振り返るとピンク髪に染められた母親が大きな玉ねぎの前に屹立していた。
え、ピンク髪!?!?!?!?
普段上記のような書き方をする時は胸中でその丈を叫ぶのだが、この時だけはそうはいかなかった。
久しぶりに会った母親がピンク髪になっているのである。
まあ、とはいえコズミックガールだしな、と一瞬に腑に落ちた。
いや、というか上に合してかズボンまでピンクじゃん…。
まあ、コズミックガールだしな…。
そうなのだ、私の周りからはコズミックガールと呼ばれている。
それは幼い頃に黄色のマーチでよく色んなCDをかけていたのだが、その選曲がジャミロクワイから始まりアース、ジャクソン5、スティービーワンダーなどとゴキゲンなものが多いことからそう呼ばれ出したのだ。
そう、今日はそんな母親、いやコズミックガールとノラジョーンズのライブを観にきたのである。
私のルーツは結果的に黄色のマーチプレイリストなのだ。
その中でもノラジョーンズはよく流れていたし、自分でも好んで聴いて過ごしてきた多くの日々があった。
それを今日、直接観られると思うとうずうずが止められない。寝不足で来てしまった。
ライブ前に近くの公園で近況を色々聞いた。
驚くことにCG(コズミックガール)は地元のローカルFMでウクレレを弾き語りしているらしい…。なんじゃそりゃ。
しかし、そこで我々MURAバんく。の話も出してくれているそうでとても有難い話だ。
親戚の状況なども色々聞けて安堵するも、流石に公園でピンク髪ピンクズボンは目立っていた。
ピンク髪に染めた理由も聞いたが記憶が朧げな程普遍的に"ただそうなった"だけであった。
なるべくしてなったのだろう。
あっという間にライブの時間となった。
もう入場シーンで頬にツーーーと何かが走った。その何かが横の母に伝わらぬように雰囲気だけは「お、始まりますかあ」と春日を下ろしておいた。
まさにあの時習い事までの車で聴いていた音楽が、今のアレンジにより紡がれていた。
そう、それはまさに"最新のカントリー"だったのだ。
ブライアンブレイドのビートに乗るアンサンブル。
これが現地の…!と感動は尽きなかった。
ライブ後に神保町でカレーを食べた。
いつも帰省してもゆっくりできないので、久々に母としばらく話した。
愛知から越してきて3年弱。公務員に育てようと考えていた両親のため音楽をやるのは猛反対だった。
しかし、家族とはいえ他人であるという価値観を中学の時に宿してしまったため、ちゃんと主語を自分に置いて人生を全うできなければそれはフェイクだ、と間合いを見てスッと上京をした。
心配してくれる気持ちも分かるが、自分においての豊かさはその路線には見出せなかった。
思い返せば愛知の頃、基本的にずっと部屋に篭り、人とのコミュニケーションをできるだけ遮断して本や音楽やゲームの世界にずっといた。
周りに話の合う人がいなかったため、話したい話題が出てもブレーキを踏まずに話せば空気は滞り、タピオカ(後にどハマり)や流行りの話題など心底どうでも良かった。
巷の人の大学生という記号に染まるために取る行動にできるだけ距離を空けて生活していた。恐ろしすぎる。
そんな自分だからこそ周りから偏愛と言われようが、自分の好きなモノでこの部屋から穴を開けて続く世界へ行かないと他に道はないように感じた。
そして、当時その自分の持つ内側について家族にもお世話になっている人にも誰にも話したことはなく、親も「え、まじ!?」と驚いたであろう。
今思えば皆さんにもちゃんと挨拶して行くべきであった。
しかし、難しかった。突然「上京します!!」と宣言したらその相手に1リアクション取って頂かなければいけないという仕事量を増やしてしまう。
だから、カントリー界隈の方々にも就職が偶々東京で決まったと言って上京してしまった。
その時の私は何故か相手に余分に体力を使わしてはいけないという謎の配慮があったのだ。もっと皆さんの懐を感じるべきであった。
カレーを食べながらそうだよねぇと母親は言った。
中学の時もずっとギターを弾いてたもんねえ、と。私はすっかり自分がギター少年であったことを忘れていた。たしかに、そうだったなと当時のことを思い出した。
私はクソがァ!!という感情からギターを始めたのであった。
道が分からなさすぎるということからホームまで送り、私は新宿方面へ向かった。
小さい頃は全てが退屈で出されたものをただこなしていた記憶があるが、流れていた音楽だけはずっと残るのだなと感じた。
ノラジョーンズの歌声に涙してバレぬようにしていたが、同じくして隣の母親からも似た温度を感じた。
その当時、別の境遇を持っていたのかもしれない。