22-09-09 スプラトューン2
日付が変わるその前に大学の頃の友人とハイカラスクエアで集合した。
24時を過ぎると3が発売となる。
みんな言葉には発しなかったが(もうここに来ることは無くなる)、そんな予感が一致したのであろう。
4人でボイスチャットを繋いで共闘する。
懐かし話もあれば、久しく連絡を取っていないメンバーもおり近況話にハッとしたりする。
そして基本的にずっとふざけて話している。何故か全て斜めに見てしまう、嫌〜な人間同士の丁々発止のやりとりだ。
なんでそんなこというの!のラリーに深夜に堪えながら笑う声が聞こえる。
はたから見たら気持ちの良いものかは自信がない。
この友人とも大学の帰り、休みの日に遊んだことはほとんどなく本当にスプラトューンの世界でしか合わなかった。
それ故に、最後のマッチングに街の散歩は、感情の懐に温かさの存在があったことを知る機会となった。
最早古いかもしれないが、エモいというやつだろう。
2020に上京して、それぞれのやるオンラインゲームも変わりしばらくはそれぞれのゲーム生活を送っていた。
こっちで活動していると学生生活をもっと前向きに過ごすべきだったなと後の祭りに踊らされることが多々ある。いいなぁいいなぁ音頭である。
しかし、当時は偽物の刺激ばっかり!くそだ!とありとあらゆるものに蓋を閉めた。
それは、普通科の大学だったからなのか、好きな学びたい分野にいっても同じだったかはわからない。
しかし、ゼミ旅行やゼミの飲み会、部活の合宿などは全部チャレンジものとして捉えて行動していた。
それも結局初回くらいしか参加できなかった。
世界線の分岐でトスされた玉を「参加しない」と打ち返すと、まるで重力がなくなった様に地平線を沿って真っ直ぐに飛ぶ。縦も横の繋がりもないままに。
興味が持てない!退屈!!が真っ当な理由だろう。
しかし、今となればもったいないことだ。
ところがどっこい、取り戻したいという気持ちもなければ、どの世界線を歩んでも何か変わったのだろうという気配もない。
こう思い返すと、かなり視野を狭めた大学生活だ。
しかし、そこから覗く世界は私にとって魅力的過ぎた。大きく分けて3つ。
名古屋の音楽シーン(MURAバんく。)、カントリーハウスの箱バン、スプラトゥーン2である。
スプラトューン2の総プレイ時間は1000時間を超えていた。
その世界から手を振るというのは流石に感慨深かった。
ゲーム性はもちろん、UIも素晴らしく、また取り上げているテーマが人種に関するものだったりと、極めてこの時代で見つめるべきテーマ(割と重めな)がポップに昇華されている、最高にいかしたなゲームなのだ。
そして、私の学園生活(?)はここにあるのだ。
通話をする中で知ったが、学科で仲よかった友人(うんたら紀行のMVのポリス)が吉本に入ったそうだ。
やっっっっっぱね!!!!!
最高ーーーーー!!!!!と胸中で舞い上がった。
デラポリス。
共にオードリーの武道館ライブに行ったデラポリスだ。
圧倒的は視点と言葉とキレの面白さが彼にはある。朝楽しみだ。
この日、久々に10時間くらいゲームをした。
外に一歩も出ないということは大切である。
新譜制作もあるため、ずっと没頭するわけにはいかなかったが、寧ろ良いバランスが取れた。
明日はまたワンツーマンでのレコーディングがある。わくわくするぜ。
狭めた視野から見えた最高な世界の窓を両手で広げるのだ。