22-08-23 自分無くしと不良感
溶ける様な、夏の通りを時速14kmでかき分ける。
まだ夏は終わっていなかった。
かんかん照りな空に敵うものなど無い。
こういう日は胸中で「夏は〜? ポケモンーー!!」と合唱する。
山ちゃんとしょこたんはいつもココにいるのだ!
クリスタルケイ「ONE」
決まってこの2曲をヘビロテする。
その時思い返せば、幼い頃はクリスタルケイとか、初期の西野カナなどを聴いていた。
DSiにイヤホンを繋ぎ、聴いたあの日々よ…。
先程は、今回新譜のデザイン周りの監督をやってくださる花沢さんと"打ち合わせランチ"であった。
家が割と近いことから、打ち合わせしながらランチができるという、とても有意義な時間を過ごした。
吉祥寺の外れにある例の定食屋はお盆の振替休日であった。
花沢さんは物事に対して逃げの姿勢を取らず、解の輪郭が見えるまでぐるぐると考えることを止めない方だ。
どうしたもんかいのうと身の回りの話をすると「自分無くし」という話をしてくれた。
みうらじゅんの本らしいが、花沢さんの話を聞いていて凄くピンと来るものがあった。
コロナになった時に起こった変化。それはまさに言語化するなば、その言葉がしっくりきた。
Instagramのアイコンをダブピにしたのも、ある意味でその片鱗が垣間見える。
この下半期の目標が決まった。
花沢さんと別れ、私は次なる目的地へ向かってレンタルチャリを漕いでいた。
裂空の訪問者デオキシスの主題歌であるTommy february6「L・O・V・E・L・Y ~夢見るLOVELY BOY~」を聴いていたら、とある小さな公園が見えた。
団地に併設されている小さな公園。
そこには球型のジャングルジムがあり、ちびっこたちが回して遊んでいた。
懐かしい。
私の近所にもあったが、小学生高学年の頃には危ないと撤去されてしまい、それから見ることはずっと無かった。
回転ジャングルジム。懐かし過ぎる。
たしかに危ないのだ。
両手で側面を握り、中の人が猛ダッシュで走る。すると側面を握っている人の足は地を離れ、手を離すと飛んでしまう。だから、必死に握るのだ。
その遊びが楽しくてしかたがなかった。
そう思うと近所の山の崖登りだったり、坂という坂を「試練」と言いママチャリで降ったりと、当時の私には刺激が無いとやってられなかったのだろうか。
見かけた回転ジャングルはとてもゆるやかに、みんなで和んでいる様子であった。
時代毎に感じて育つ刺激の量って違うのだな。
それ故に、何世代も上のコントを見ても分からない部分があったりするのだろうな。
今の自分の求める刺激量が当時とあまり変わっていないことに少し引いて、先ほどの言葉との折り合いを探した。
次なる目的地、Cluteの桂氏(ベース)の部屋に到着した。
今回、新譜のうち2曲をCluteの桂氏、そして矢島氏(ギター)のお二人に協力してもらえることになった。
一曲は既にほぼ完成しており、今日はもう一曲の新曲のミックスを進めようと集まった。
どっこい、録音が昨日今日のためデータが手元になく、急を要する様な連絡も無粋だと、今日はのんびりする日にした。
あずきバーをもらって、畳でダラダラし、15歳までに聴いていた音楽を紹介し合ったりしたり、最高の時間であった。
桂さん、矢島さんに凄く(勝手に)シンパシーを感じる。
それはきっと界隈が近い様で遠かれど、似た世界線を生きてきたのかもしれない。
選んだ学校だったり、それを経て形成されたサリエンシーがもしかしたら近いのかもしれない。
最近、音楽を通して色んな方と話す機会があり、そこで発見があった。
私は、そっと静かに不良を飼い慣らしている人に凄く魅力を感じる。決して表には出さないのだ。
痺れるのである。かっこいい。
「不良感」。
それは音楽にもあるよなあと思う。
その話を桂さんとすると、そこに於いての感じ方で通ずるものがあると話してくれて、色々な音楽を聴いて感想を話し合った。
そこにも「自分無くし」という言葉が関連する様な気がした。
「自分無くし」と「不良感」。
今日の昼と夜みたいな温度の間隔を感じる。
しかし、ここに何かあるような気がする。