こしあん日記

MURAバんく。の土屋のぐるぐるとした日記である。

22-08-18 同調という仮想敵

同調行動がどうしても苦手だ。

日常でそう感じた時、なぜ自分は同調行動にそんなにもゲンナリしてしまうのだろうかと凄く気になってしまう。

それはちょっと興味に近いものもあるのかもしれない。

 

小学生の頃「合唱の時は笑顔で揺れて歌いなさい」と言われた時意味がわからなかった。

しかし、周りはやっている。なるほど、これは先生に褒められて、好感度を上げるためのものか。それに便乗すると、先生に褒められて教室での立ち回りもしやすくなった。

 

中学生の頃、同調した方が何かと楽だという点から校則に反することは一切せず(ボタンもしっかり閉める!)勉強もしっかりやって、親も安心する様に公務員を遠くに目指して部活にも参加していた。

しかし、とある映画監督の本を読んだ時に「自分はこんな退屈な日常でよいのか…」とハッとした。

 

私が中学生の頃に東日本大地震が起こった。

日本全体が凄く落ち込む中、私は観たかったアニメや漫画が止まってしまったことにショックを受けた。

これは倫理観としてヤバイんじゃないか、と。

 

しかし、愛知に住んでいる私の見る画面上の映像はまるでフィクションの様で、どういう気持ちを持てばいいかわからなかった。

だけれど、周りは凄く自分のことの様に落ち込んでいる。

それは同調とは違うかもしれないが、私にはそのスタンスは現地の方に対して失礼なんじゃないかと感じてしまった。

想像を遥かに超える経験をされている中で、私は家でハンバーグを食べていたりしているのだ。

募金などには参加して、私は自分の今をしっかり生きようと考えた。

 

高校は(自称と呼ばれているが)進学校に滑り込みで入学した。

中学もそうだったが、学校は基本「同調ベース」での指導であった。

先生が悪いわけではきっとない。その枠組みがメリットもあれば、デメリットは呪いの様にもなるといった感じだ。

 

その頃には私は胸中に不良を飼い慣らしていた。

今日改めて「同調圧力ってなんだ?」とググってみたら、メリットとして「人間関係がうまくいきやすい」「安心感がある」「楽ができる」。

デメリットとして「個性が発揮されない」「窮屈になる」「まちがったことをしてしまう恐れがある」と出た。

 

本当に良くないことはわかっているが、当時誕生日プレゼント文化を見て思ってしまった。

プレゼントを送り合う→帰宅後ラインのタイムラインで「みんな!ありがと!」と勉強机にいっぱいのプレゼントを敷き詰めた画像を上げる。

そういう人たちを見てしまうと「うわっっ、嘘っぽ………」と所謂やってんなと思っていた。

 

自分はこれだけの人に囲まれて今を楽しくしていますよ!という示しのためのプレゼント…。

そして、その渡した側も「今回あげたよね?ってことはわかってるよね?」と暗黙のカツアゲ了解を感じ取ってしまう。

そして、同じメカニズムをラインのまたタイムラインで目撃する。

 

え、関係性うっっっす…。

 

そう思えたのは、私にはぶっといパイプで繋がってる様な友人が学年に一人は居たからこそ感じられたことなのかもしれない。

あの人と話すネタになるし、まあいいかで乗り越えられる。

だからこそ、そこで何か目立ちたいなどは無かった。

 

「人間関係がうまくいきやすい」「安心感がある」「楽ができる」。

たしかにそうなんだろうな。

でも、それだけで良いのか…!?

みんな矢張り安心感がほしいのか。

私は安心感が1番恐ろしく感じてしまう…。

作られた安心感ほど白々しいものは無い。

 

土曜日も模試があるくらい模試好きな学校だった。私は手を挙げ「腹痛で…」とトイレに行きiPod nanoで音楽を聴きながらトイレを済まし、その後ギリギリの音量まで上げて、一人トイレの個室で思っていた。

 

星野源の「いちにさん」、ceroの「Orphans」、それからマイケルジャクソン「Off The Wall」、ディアンジェロ「voodoo」。まさにその頃である。

 

今日帰宅時に「いちにさん」を久々に聴いて、あ、一番の敵は「同調圧力」なんじゃないか?と思って、ぐるぐると考えを巡らせたのである。

 

その頃はもう耐えきれなかったのだろう。

全てを騙して、絶対おもしろい方へ行くぞと静かに決めていた。

 

しかし、ずっと東日本大地震に対して引っかかるものがあった。

そんな中、好きなミュージシャンが岩手県宮古市でライブをやるという情報を得て、これはタイミングだと思った。

ずっと引っかかる事の正体を確かめたかったから、私は初めて一人旅で東北まで行った。

 

ライブの翌日から二日間はフリーで行動することにして、ひとまずテレビで観た崩れたホテルの跡地を観に行った。

中には入らないように柵が建てられており、津波の影響で崩れたホテルを見上げた。

 

作業員の方が丁度階段から降りられた時に私に気付き、一人で来た旨を伝えると観光協会の方を紹介してくれた。

それから一日色んな場所を周り、かなりリアルな話をお聞きした。

 

そして、震災から数年経った当時の現地の方の感じ方などもお聞きすることができて、その時に初めて「お世話になった◯◯さんの住まれている東北」という認識を持ち、リアルな元気だといいなあという気持ちが芽生えた。

本当に想像を絶する体験であった。

 

しかし、町全体からは「復興」とかではない、何か力強く、しかし地に足つけるような低飛空な位置から生のエネルギーをめちゃくちゃ感じた。

これは矢張り行ってみないと分からないものであった。

ぐんぐんと前を向く覚悟が決まっていく様な。

「色々あったけれど、私はあったことを伝えていくことに決めました」という言葉もずっと記憶に焼き付いている。

 

大切なのは動作の主語がちゃんと「自分」であるかどうかなのだ。

自分がこの人に喜んでもらえたら嬉しいからプレゼントを送る、ならば…なんて素敵なんだろうか。

自分は◯◯になりたいから、この分野を勉強し、あの大学に行きたい。

 

学校で感じた白々しさは、目的が無いのに目的がある様な雰囲気での「同調」があったからだろうか。

 

こればかりは私の偏見がかなり強いため、ほんとに近々図書館に行って確かめたいものである。