こしあん日記

MURAバんく。の土屋のぐるぐるとした日記である。

22-07-30 共感生羞恥の先へ

昼過ぎに私は炎天下の浜松町へと出向いた。

暑すぎて暑すぎて、日陰を見つけてはSEIYUのみなさまのお墨付き紅茶クッキーを口に頬張り、また一歩踏み出す。その繰り返しをした。

 

そして、会場の入り口が全く見つからない。

ぐるぐると文化放送ビルの周辺を漂い、やっと見つけて会場入りした。

ついに、敬愛するヒャダインのラジオイベントの日がやってきたのであった。

 

私が中学の頃、初めて深夜アニメを観たのが「日常」という京都アニメーションのアニメだ。

言わずと知れた名作で、ヒャダインはその主題歌、またキャラソンを担当しており、私はその頃からハマっていた。(その時それは反面、呪いになるとは知らず…)

まさしく私が影響を受けた音楽家の一人である。

 

大学の頃は週に10本ほどのラジオを聴いていたが、最近は数がだいぶ減ってしまった。

その中で、ヒャダインのラジオはずっと聴いている。

 

私が大学の頃。当時付き合っていたそのお相手さんは本当に良い人で、まさに100点の"彼女"をやってくれるような人であった。

しかし、当時の私は音楽やその他への興味が強すぎて、何も返せていない……という申し訳なさだけが募りしんどい時があった。

時に自分を騙し、付き合うことに対して努力をしていたのだ。

 

そんな時、何となく久々にヒャダインのラジオを聴いてみた。

すると、何か心が軽くなる様な、とても安心できる様な…。

ずっとくだらない、もうしょうがなさすぎる。

もはや辻褄さえ合っていない下ネタのオンパレードみたいな内容なんだけれども「おれの居場所ここじゃん…。」と切なくも真実に辿り着いてしまった。

 

嘘のない「うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ」の笑うしかない痛快さ、切なさに私はとても人間味を感じる。

その人の美学が垣間見えるのだろう。

私は嘘をついて世間的な"安心"を掴むより、なにか妥協はあれど一本の美学を貫く姿勢に惹かれる。

ヒャダインもリスナーもカッコ良いのだ。そして、優しい。

 

そんなラジオのイベントに今日初めて行けた。

「共感生羞恥の先へ」というタイトル。

そして、私はまさかの朗読劇に先生役で参加することになった。

まさに共感生羞恥の先へ踏み込んでみた。

いや、踏み込んでみないといけない何かがあった。

 

その場で台本を受け取り目を通してみると内容もまあ滅茶苦茶。

そして出番が後半なため、前半は左右の人の演技力にビビりまくるばかり。

え、自分はどの軸でこれをやれば良いんだ…!?

喪黒福造風に行くのか、フラッグマン風に行くのか…!

とパニック状態になったが、いや違うぞ、と。

これは奇を衒わず「朗読」に徹しよう。そうしよう。

私はそう方向を決めて、支離滅裂な書かれた文書を"風"ではあるが、なんとか読み上げてみた。

 

すると「いや〜〜、良い声でしたね、特に頭の方とか」とヒャダインは続けた。

 

まじか!!!!!

 

あまりこうやって記すのも無粋だが、え、まじか!!!え、ヒャダインに言われたんだが!!??

そう胸中の小さな自分は発狂した。

 

それこそ中学の頃に共感生羞恥を煽ってしまうから歌うのはやめようと蓋をしたのだが、ちゃんと自信を固めてやっていこうか。

 

…ああ、それにしてもあの時の返し方はあまりにも弱すぎたな…。

そういうことじゃないってことを言ってしまったような…。

…え、アーカイブ買ってチェックする…?と次なる場所へ移動する電車の中でぐるぐるとした。

 

実際に共感生羞恥の先には、発見と反省があった。

そして、その先へ一度行ってみることができて良かった。

ありがとう、すうさん。