こしあん日記

MURAバんく。の土屋のぐるぐるとした日記である。

高校の頃から

愛知への帰省はライブがある時のみと決めている。

あくまで音楽の時だけという意である。

故にあまりゆっくりできないが、この午前だけは何とかして行きたい場所があった。

それは高校の時にスタジオ利用で通っていた児童館である。

当時お世話になった方へどうしても新譜CDをお渡ししたかったのだ。

 


実家は尾張に位置している。生活している尾張から帰省する尾張になった途端、空気の粒子は様相を変える様に白むようになった。

まるで白昼夢のような、別の時間軸のような。

なんだかいつも不思議なのである。

 


CDのボリュームを下げて車を止めた。外の空気を身体に流して伸ばした。目の前の見上げる児童館、それはそれは懐かしいものであった。

 

2時間500円で借りられる。今考えるとなんとも優しすぎる値段。設備も充実しており、よく利用させてもらっていた。

そして、そこで出会ったのが児童館のドンである坂本さんだ。

 


自動ドアを進み低い靴箱にかがんで置く。名簿を記入して事務所を見回すも坂本さんの姿はなかった。

しかし、耳を澄ますと遠くでギターの音がする。それを頼りに懐かしい板を踏みしめ辿る。

児童館に響くギターの音は、この身体はオートで歩かせる電波信号のようであった。

 


奥の机の広がるスペースに頭にはバンダナを、迫力のある身体にハッピを纏った、当時と変わらぬ坂本さんが座ってギターをつま弾いていた。

 


「おお!土屋くん、久しぶりだねえ!!」

 


少し泣きそうな再会であった。私も椅子に腰をかける。

機を流すor謎のシャイを発揮して逃してしまうとまずいので、出会い頭レベルのタイミングでCDをお渡した。 

 


「そうかそうか、あれからずっと音楽続けてたんだねえ。でも、当時から土屋くんから感じるものがあったんだよねえ」

 

坂本さんは嬉しそうにしてくれ、当時の私の印象を話してくれた。

なんと、興味を持ってる音楽に、ギターの選び方からこいつは一味違うぜ…!と思ってくれていたそうだ。なんとも有り難く、そして恥ずかしい。

 


しかし、胸中で飼い慣らすミーハーなリトル土屋はというと…

 


((わーー!!やたーーー!!なんか、え、凄い良いオリジンストーリーじゃない……!?あの時の自分ナナナナイス……!!))

 


痛いほど浮かれ跋扈していた。

すると坂本さんは続けた。

「最近さ、かつての土屋くんのような子が来たんだよ」。

 

おや………?

 


かつての私?

きっと「凄い華があってさ〜」などといった導入ではない。長年土屋をやったいたら察してしまう。

胸中のリトルさえ((おおおん??どゆ感じで…??))と分かりやすく緊張していた。

 

伺ってみると「そうそう!こう、内に悶々としたものを抱えている少年がさあ〜!」と坂本さんは続けた。

 


やっぱかぁぁぁそっちよね〜〜〜!!!

 

 

 

いやいやいや、でも光栄なことだ。明確に当時のことを覚えてくださっていたことは凄い嬉しいことだ。

それにそこを見抜かれていたのは流石恩師である。

 


「当時からさ、話し方も雰囲気も凄く落ち着いているけど、何かこう悶々と内にエネルギーが飽和してるようなさ」坂本さんは話してくれた。

その少年にはその近いエネルギーを感じるとのことだ。

 

 

今思うと矢張り吐口というものは大切だ。どうにかして成仏していかない限り溜まる悶々は解消されない。

その少年も音楽をその突破口として見出せたと聞いてホッとした。

 


その話を聞いた時に、私も彼の様に坂本さんが作ってくれた環境や会話によってあの当時救われていたんだなとハッとした。

このハッはかなり衝撃的なものであった。

 

 

 

坂本さんも相変わらず戦っていた。「児童館をよりおもしろくする」そのことだけを切に、戦っていた。

見たことも聞いたこともない展望を本当に現実に繋ぎ止めるため、たくさん勉強もされ会社まで立ち上げていた。

それが町の人にも響いていて、まあ兎に角そこも含めてかっこよかった。矢張りモノづくりの人だ。

無い場所は矢張り作るしかないのだ。

 

 

当時、坂本さんが鳴らすギターのリズムが凄くカッコよくて、聞いてみたら「おっちゃんグルーヴ」と教えてもらったことがある。

それから、しばらく経ってそれが細野晴臣の「チャンキーなリズム(おっちゃんのリズム)」に繋がった。

あの時のやり取りがあったからこそ存在する今の世界線だ。

どこで分岐点が起こっているか、渦中ではわからないものである。

 

 

そして、この日の会話からもまた一つ果たしたい事が生まれた。

私もね、負けちゃいられない!!

 


その夜、今池得三での終演後にバンドスタート時から見てくれており、かなりお世話になっている方とかなり久しぶりに再会ができた。嬉しかったぜ。

 


すると「そいえば!さわまんのラジオ聴いたよ〜!あの友達もいなくて悶々としていた土屋くんがまさかお茶友達ができるとは…!!」。

 

 

おいッッ!ここでもか…!!

 

 

 

まさか1日に2回も言われるとは…!である。高校時、大学時も悶々々。

こればかりはしょうがない、思い返せば当時仲良かった人を思い返しても、みんな悶々としていた。

きっと私の持つ悶々を感じ取ってくれた人も悶々と戦っている。みんな絶賛悶々中なのである。

 


しかし、それこそ深夜に悶々として散歩していたら偶然澤部さんとばったり遭遇するといったとんでも奇跡は起こったのだ。

そう考えるとこの悶々地獄も悪いものじゃないぞ。わからないものだ。

 

これを読んでくれているあなたもその渦中にいるかもしれない。

大切なのはそれで如何におもしろいものへと展開できるかどうかだ。

「プレゼントだと思うしかない」と朝井リョウも言っていた。

だからこそ、紐解くべきなのである。


遠征からしばらく経ったある日、近い振動数を持つある方と出会った。

似たもやもやを抱えており、それを糧に変えてやろう…!と吉祥寺の一角でエネルギーが静かに渦巻いた。

楽しすぎるぜ。