ワクチン
幼い頃、よくじいちゃんに喫茶店に連れていかれた。
普段はおもちゃでばかり遊んでいたため、喫茶店での時間はやることがなく退屈だった。しかし、帰りのスーパーでポケモンの指人形を一つ買ってもらえることを知っており、私はついて行っていた。
いつも右肘を窓に凭せ掛けて、片手でハンドルを握り運転する。
白くて車高の低い車を駐車すると「いくぞ」とサングラスを外し、今日はここの喫茶かと私は思いながら、太陽の光を跳ね返す真っ白なスラックスを追う。
メニューが決まると「おお、ねえちゃん」と店員さんに声をかけて注文する。何を言っていたか覚えていないが、注文にいらないしょうもない一言二言を足して場を一瞬困らせてから笑いを取っていた記憶がある。
行く喫茶店によって、大量のゼリーだったり、パスタが皿からこぼれるほど盛られていたり、其々に特別のサービスがあった。
プレイボーイ的コミュニケーションアビリティの高さに幼いながら圧倒されていた。
しかし、その会話にナンパに近い発言では無いのだ。テンションが高いわけでもなく、スー―っと変なことを言って母親に「ちょっとお父さん~」というのがお決まりだった。
なんて言っていたか、どうしても気になって母親に電話をした。しかし、母親も覚えていなかった。「コミュニケーションを取るのは好きな人だからね~」とだけ言っていた。
余計気になる。
ケッタマシンを5km程走らせ、ワクチン接種を受ける会場に着いた。
普段は何かの総合施設なのか?と歩きながらそこに通うマルチバースの自分の生活を妄想する。
書類や本人確認を済まし、やる気ゼロの占い師の様な医者に意思を確かめられ大丈夫なのか…と思いながら、さらに進む。
此方ですと促され、おばあちゃん医師に「では上着を脱いでください~」と言われカゴに載せた。
「では肩を出してください~」と言われ肩を出そうとするもケッタ装備だったため、トレーナーの上に来ていたセーターも脱ぐことにした。
「いや~~、寒いんでもう厚着厚着で…すみません~」と私は言いながら脱いでいた。
すると「ほんとよねえ~、早く暖かくなってほしいわよねえ」「いや~、でもどうせまたすぐ暑くなるんですよねえ」。
その一寸したラリーは、オフィシャルな空間が一寸ズレる感じがして面白かった。
「肩は揉まないでくださいね~、では上着をお取りください~」と私は席を立つ。
すると「身長何センチなんですか~?」と聞かれ、答えると「羨ましい~」と言った。そのおばあちゃん医師に振り返って「後悔しますよ!」と言ったら笑ってくれた。
その帰り道に、私はわかった。じいちゃんのアレは、今でいうコミュ力ではない。
完全なる照れなのだ。
私は無言でセーターを脱いで「うわ、セーターの中にトレーナー着てるのか、コイツ!?」と相手に胸中で突っ込まれる空気感に堪えられないのだ。だったら「もう厚着厚着で~」と言ってしまった方が楽。その後の状況も想定しているが、それでも冗談を言って煙に巻く方が楽なのだ。
そう、つまりは恥ずかしいのだ。
大学の頃、初めてバイトで給料が入り、免許を取ってその白い車でじいちゃんと喫茶に行った。何か話せば「ほぅかね」と笑ってくれた。自分の話ばかりではなく、もっと話を色々聞いとくべきだった。
じいちゃんは今施設にいるらしい。
別れる時に手を振っていたから認知はしているかな?と電話で母親は話していた。
コロナの影響で今は面会もできず、皆しばらく会っていないらしい。
元気だと良いなと思いながらギターの練習をした。
当時教えてもらって全然ピンと来なかったサンタナも、今は経験を介してカッコよさがわかったよと今度伝えよう。
そして、恥ずかしさへの免疫力は歳を取ってどうなったかも聞いてみよう。