バーベキュー〇〇派
私はバーベキューが苦手だ。と言うのがお洒落だと思ってる人が今の世の中に多い。そう言う人にかぎってSNSで人との楽しげな空気感を孕んだ投稿をし、披露している。
それ故、そういった「バーベキュー苦手派」の空気感をなるべく露呈してしまわぬようこの一年くらいは過ごしてきた。
しかし、先日バイト先で「土屋くんはBBQ嫌いでしょ〜」となだらか〜なテンションで言われた。
(( あ、どっかでその類いの話を自分でしてるんだな ))と顧みた。と脳は顧みモードに入ってるのだが、食い気味に「スイパラは好きですけどね!」と返した。
バーベキューは嫌いだが、スイパラは好きなのだ。バーベキューは嫌いというか苦手なのである。
その場の周りの数値ほどのウキウキが自分には実際無かったり、養殖の力で数を増やして周りと合わせても何処かで一人の時間を作らないと目がバッテンになってしまう。
そして共同作業というのは、より己の力量が浮き彫りになる。
バーベキューはカレー作りにおいても、その作業工程にそれぞれ役目と責任があり、出来上がったカレーの味にも一人一人の仕事量が感じられる。そして私という個は昔からそういう場で役に立つことはないので、((野菜しか切ってないな… ))と食べながら申し訳なさが生まれたりする。
「そんな気にしなくていいよ!」という魔法の言葉も、そういう人間の胸中への効き目はない。
それはカレー作り以外でもそうだ。その日までのスケジュール決めや場所決め、レンタルや支度諸々。重めな役を背負ってる人がいる。
仲間との時間が嫌いとかではなく、苦手な理由はきっと社会性の出る環境で自分なりにポジションについてみるも、空ぶった記憶しかほぼない、それ故にそういう場での己を信用できないのだろう。
しかし、スイパラでは爆発的に楽しめる。
・スイーツが好き
・食べ放題
・少人数
・まだ出せる金額
・時間が決まってる
非常なほどに素晴らしい条件である。私のウキウキ指数は周りの放つウキウキ指数を圧倒できる程であろう。
店に行って、金を払って、話して、食べて、満足して、帰る。綺麗なムーブだ。
そうとは言ったものの、店内の装飾はかなり派手。男だけで行こうぜというのもサブイ。
そして一人で行けるほどの肝が据わってない。
しかし、有難いことに私にはヲタ仲間がいる。好きな話や、最近何に尊さを感じたかという話で時間は優雅に流れていく。
バーベキューは何か腹を割った会話をしなくてはならない時間がやって来たりする。
しかし、ヲタの会話は基本的に個人の話にあまりならない。
作品や好きなポイントをべらべらと喋り、そこから何となく察して、時にピンポイントな話になり、個人の話に繋がったりする。
共鳴するまでの助走がちゃんと取れるのが性に合うのだろうか。(バーベキューでもその瞬間はあるだろうが、その場でそう思い込みにより演出された共鳴は白々しい)
まあ、嫌な話お金と時間と体力を作った分、満たされる時間が過ごせたかというジャッジが中学の頃から無意識のうちについてしまったのだろうなあ。とても現金な話である。
基本的に部屋で楽しめる人間だから((その時間時間あったらあれが進められたのに…!))と測ってしまったりするんだろう。
それに人前でどんなに話せる空気感が成り立っていても本音で全部話してしまったらドンドンドン引きされてしまい、空気が凍て凍てにつく未来がはっきり見える。
自分の「何となく」にある価値観は今までの経験上、世の中と相性があまりよくない自覚がある。
それ故、人と話す場合本音を100%で話さず、世の中の価値観というスポイトを介して抽出された一滴で話すことが平和だと思っている。ちょっとズレた会話だ。
人との暇な時間って結構大変だ。
バイトなどの暇な時間って注意しないとそこに居ない第三者をいじったり、暴露話が始まり、それによって得られる関係もあるが同時に分断が生んだりする光景を見てきた。また、自分の話したことが気付かぬ内に尾鰭を得て、その環境で回ったりする可能性があったりする。
そういう方法によって安易な関係を結んでいく人たちをクソだな!と思い、大学の頃から何となく意識し始めた。
悪い方向に矢印が向かぬようにそ〜っと調整し、意味のない話に塗り替えるような立ち回りだ。
このようなこと含み、ズレた会話は丁度いいのだ。
ところがどっこい、人から見える私はそのズレた私であり、個人としては生きやすい場所ではあるのだが、本音を生かすとなるとまた別の話になってしまう。
それは音楽で上京し、1年を通して思った。本音と戦っていく場所だから。
自分の輪郭を司る色収差がまた乱れておる。
以前、某Mとバーベキューについての会話する中で「おれはその全体をそ〜っと綺麗に成り立たせるのが好きなんだよな」と話していた。ゲームでもあるでしょ?と、たしかに!!と両膝をクロスして叩く思いであった。
スプラトゥーンでいうとMは後衛で全体を見つつ、攻められた時に撃つチャージャー的なポジションだ。私のスプラトゥーンでのいつもを振り返ると、超前衛で攻め攻めに攻めな立ち回りだ。
それをバーベキューに置き換えて考えると、皆んなで完成させたカレーを川切りする様にフライパンのまま「おりゃあ!!」と投げたり、「わ〜〜!!」と深くまで刺さったペグが空中に舞うようにテントをぶっ壊したり…。恐ろしい、恐ろしいよ。
しかしだ。恐ろしい話、たしかにぶっ壊し前提で、人を誘い、スケジュールを調節し、諸々準備するのは非常にワクワクするかもしれない。まあ、やらないんだけども。
しかし、そういう気持ちでさえ息の出来る世界っていうのが“創作”だろう。今まで本当に助かっているのだなと痛感する。そら部屋ではそのワクワク指数100以上が“出来る“のだから。
そして、そんな世界が作れないかなと…日々わんさか妄想をしているのだろう。
その高まりが好きなのだ。それでバーベキューの優先順位は低くなるのだろう。そう考えると…。
「バーベキュー行く必要がない派」
そんなこと言う人ほんとヤダよな。
話すとこうなってしまうんだよ!