22-09-14~19 総集編(愛知譚)
14日「ご縁」
スキニーが身体と一体化したバイト終わり。
私は連日でココナッツディスク池袋店へ。
お渡し物があり無事にスタッフである七夕ボーイにお渡しができ、退勤後にご飯に行こうと約束をした。
店内で(主にCD棚の上)を眺めていると、一つのCDと目があった。
澤部さんが以前おすすめしてくれたバンドの名前だ。そのメンバーの幼い頃の宅録が40曲ほどまとめられたCDであった。
手に取ってみると推薦文が書いてあり、どんなかな?と読んでいると今作にゲストで演奏して頂いた森田さんのお名前が…!
そして、その下を見ると星野源(sakerock)の名前が…!
これは絶対に買わねばと無事かばんに回収して、閉店後に七夕ボーイと合流してチキンケバブキーマカレー定食を食べた。長い。
しかし、バカみたいな飯が最高に好きだなあ。
タモリ倶楽部のテンポで話す七夕ボーイも最高だった。
15日「名古屋」
こういう日に限り終礼が長いなと焦る自分を胸中に押さえつけて、駅まで早歩きして吉祥寺へ向かった。
今日はベーシストでありソロの活動もされる厚海義朗さんと定食屋へ行った。
ご縁があってお会いできた先輩のミュージシャンの名前をこの日記に挙げることに抵抗がある。
何故なら「え!?すごくない!?いや、すごくない!?こんなことあるっ!?びっくりなんだけどっ!!」とミーハー全開マインドで文を打つことになってしまい、きっとそれが見透く文章になってしまうからだ。
披露するようなことでは無く、この日記はたんたんと日常を綴っていきたい。
今回はそんな日常を書き残せたらとチャレンジしたい。
厚海さんとは出会ってもう3年ほどが経つ。
名古屋(kdハポン)でライブ活動をスタートさせて、店主のモモジさんがブッキングしてくれる流れに身を任せていたら、そのシーンの方々と出会うことができた。
河合慎吾さんと出会い、その後おすすめして頂いたNRQのライブを見に金山ブラジルコーヒーへ行くと、名古屋シーンの多くの方が遊びに来られてて紹介して頂いた。(いけさん、ありがとうございます)
それから、MURAバんく。の初東京ライブも企画して頂き、その時に対バンしたのが厚海さんと黒岡まさひろさんであった。
え、ceroのベーシスト…!?とバンドのラインはざわついた。
振り返ると錚々たる方々に囲まれて活動していたな、と吃驚する。
安易な居場所は作らず合流せず、そこは妥協せずやってこれて良かった。(今じゃ怖くてできないことも…)
自然と繋がる場所が楽しいのが一番だ。
厚海さんも名古屋で活動されて、拠点を東京に移されている。
愛知での感覚と東京の感覚は同じなようでやっぱり違う。それをこの2年で凄く感じる。
その時々に生まれた疑問やこうするしかないか…という話を厚海さんに相談させて頂くなど、凄くお世話になっている。
恐れ多くもちょっと遠い我々のアニキである。
私のしょっちゅう行く、はずれにある定食屋に行けたのも嬉しかった。
そして、そこでちょっと勇気のいる提案もさせて頂いた。
今これを読んでくれているあなた!この先にまた凄く楽しみなことが起こりますよ…!
今後の我々の動きも是非チェックしていただきたい。
その後、デザイン部である花沢さんと朝になる手前まで作業を進めた。
こちらも是非楽しみにしていただきたい!
16日「小牧図書館」
とある撮影があり、大阪へ行くチェに便乗して葛飾出身と3人で愛知へ行った。
諸々が終わりブルーモヒート号は尾張より西へ旅立った。
残った我々は祖母の家に泊まる予定があり、地元である尾張小牧をぶらぶらと歩いた。
ライブやレコーディングのついでにしか帰らないと決めているので今回もまた久々な帰省であり、町の佇まいにも変化があった。
高校の頃揉めている空気を察しながらも進められていた新しい図書館ももう当たり前の顔で駅近に屹立しており、これまたマルチバース…と思いながら出身と中へ入った。
嫌だね。胸中にはずっと「いいなぁぁ、いいなぁぁ」のリフレインである。
うらやま。ザ・うらやま以上の何者でもない。
へっ!図書館にスタバっ!けしからんっ!と嫌なじいさんにだけはなりたくない。
だから私は、もし学生時代にこの綺麗で立派なスタバ付き図書館ができていたらというマルチバースを展開させて妄想した。
それを書くとまた1,500文字を達成してしまうため今回は割愛しよう。
帰る頃に見かけた後輩と思しき制服の青年は本文とは関係ない本を積み、静かに楽しそうに何かを目論んでいた。
17日「中間地点のやばいとこ」
朝の9時の日差しが平等に障子の小部屋を光らせている。
まるでおばあちゃん家の朝である。いや、おばあちゃん家の朝なのだ。
出発の時間になり、葛飾出身を叩き起こしそのまま迎えに来てくれた父親の車へ連行するようにして小田くん家まで出発した。
MURAバんく。鍵盤のドクター=ODこと小田くんは小学生からの関係であり、彼の部屋へ訪れるなら久々であり、またモニターの数が増えており驚いた。
いや、またか!くらいのテンションだったか。行くたびに機器が増えている。
新譜の納期がもうギリギリまで来ており、正直焦っていた。
今日ここで出来なかったら…、やばいぞ…!?
え…、
やばいかんね!?!?!?!?
もうそういう毎日だ。
だからこそ、計画をしっかり立てて制作を進めた。
するとあら不思議、めちゃくちゃ順調に進んだ。
順調に進んだんだが!?!?!?
その制作は非常に楽しかった。そして、めちゃくちゃに良いトラックができてしまった。
素で聴いても良いし、文脈を感じてもらえたらきっとより楽しめる。
真面目と悪ふざけの中間地点のやばいとこ。
その後、私と出身は大須商店街へ向かった。
モノコトに取り置きした椅子がありお邪魔すると「あれ?ちかとくん?」と声がした。
なんだ?と振り向くと、照喜名さんがそこにいらしてた。
テルッキーじゃん!!!!!
凄い嬉しかった。テルッキーさんはちょっと変わったユーフォニアム吹きであり、もともと私をライブシーンに繋げてくれた恩師でもある。(カントリーに繋げてくださったのもテルッキーさんだ)
高校の時に組んだ得体のしれないインストバンドを前座に呼んでくださり、私のライブシーンは今池(バレンタインドライブ)から始まった。
そのライブ後に店主の野村さんから好きな音楽何?と聞かれ「エキゾチカにハマってます」と答えると名古屋のエキゾチカバンドを教えてくれた。
(最近知ったのだが、ベースは厚海さんの時代も…!繋がるなぁ)
それから、MURAバんく。のデモCDができて、どんなのができたんだと怖い大人たちのいる中流してくださり、隣の女性が「ハポンとか合いそう!」と仰ってくださり、ハポンに繋がった。
今思うと奇跡的なことばかりだ。(本当に有難い…。)
テルッキーさんとの再会もかなり久しぶりで、妹が成人した話題などを含み盛り上がった。
また恐れ多いが演奏も一緒にできたら最高だなあ。
この日、我々二人はアルフォートしか食べていなかったため腹ペコで、メキシコ料理店へ駆け込んだ。
とても美味であった。
楽器屋巡りをしながら栄へ向かう。
その後、ずっと借りっぱなしのギターを返しに、その方の勤める楽器屋へ行き、その後また腹が減ったと台湾まぜそばはなびを食いに行き無事腹を壊し、小石君と合流した。
小石君とは、名古屋で活動してた時にアー写を撮ってくれたりデザインの相談に乗ってくれたり、特に椅子が好きで有名な人間である。
名古屋のロフト前の階段まで移動してだべった。
そして、夜行バスに乗る出産を見送り、その後もオアシス21でまただべった。
そして、終電を逃すことにして泊めさせてもらって、まただべって爆睡した。
18日「七回忌」
基本的に人と会うより部屋に居たい人間だったが、良い意味でバグが生じて1日に何組とでも会って話せる人間になった。
億劫よりも興味が勝つようになったのだろうか。
七回忌があり久々に家族が全員揃った。
みんな揃うのは3年ぶりくらいだろう。
でか箱でDJをやっているメッシュの弟の運転は割と安全運転であった。父親の運転が凄いので皆反面教師として無意識下で心がけているのだろうか。
大人になって普通に話すようになるということは本当にあるのだな。
お経のリズムにシャッフルを加えたりして、手元のお経の口語訳を試みる。
不謹慎(?)かもしれないが、そこには身も心も捧げよ、我々は皆その子供であり、などと無茶言うなあ!と強く断定された文章に少しびびりついた。
その後墓参りの頃叔父さんが「やっぱ時代時代で統一のしかたがあるよなあ」と話しかけてきた。
言うなし!!
でも、同じことを考えていた。
やっぱり安心するには同じになるということが手っ取り早いのだろうな。
今もポスターや広告で見かけるものも、そんなに変わらない。
祖母宅でお経を読んだ後、目も合わせず淡々とその後の情報を共有しお寺へ戻った瞬間「かなりオートマな坊さんだな…」と言うと、其々の感想が行われる。
お寺でのお経後の話を聞いて、妹が「ほとんど何を言ってるのかいまいち聞き取れなかった」と笑顔で言って共感を呼んでいた。
我々の家族は基本的に若干冷めている。
基本的に俯瞰し合う生活を送っており、私も実際弟、妹の個人の話を全く知らない。
何か感じられたらそれで良いのだ。
親戚の営む店で飯を食い、その後これまた3年ぶりに従兄弟の家まで向かった。
びっくりだ、身長に骨格がまるで違う。
ほんとキャラメイク変更したみたいだね!と言ったら爆笑してくれた。
中学2年生となった従兄弟はいい感じにオタクになっている……!!嬉しい!!
親族でこの話できるのか…!とやや興奮めにオススメのアニメや漫画を紹介し合った。
かなり頭の良い兄弟で、この日は兄の子は塾で会えなかったのだが、その子の好きなジャンルの説明までしてくれて、その説明がとても魅力的であった。
ぴょこぴょこしている彼はもう居ないが「この転生ものおもしろかった!」という彼は存在する。
その後、倉庫でレコーディングを行い、苦闘の末に何とか形になりその空気がデータとなった。
どうなるか少し不安で楽しみだ。
そして、時刻は18時を回り倉庫に友人の車が到着した。大学の頃の友人H,O。
スプラトューンの世界ではしょっちゅう会っているのだが、直接会うのは3年ぶりだ。
彼らに私が今何をやってるかも全然伝えていなかったため、それを白状するような会となった。
また大須に向かい飯屋を探すもなかなか見つからず、中国料理屋で「来たから」という理由で台湾ラーメンを食べた。
二人の近況を聞くとこれまた時間が進んでいるなあと、そして人間の持つ気持ちというものもちゃんと育もうとしているなと感じた。
Hとは特に気が合うというか意見が凄く合う。
学生の頃も差し障らない立ち回りをし、集まった時に「あれやばくね?」と其々の視点を"藪の中"方式で論じていくのがとても楽しかった。嫌なやつらだ。
何かを期待し過ぎることがない。目の前にあるものを最高のパフォーマンスで発揮できるように頑張る。そこだけは妥協しない。
しかし、ちゃんと一人称で生きましょう。というテーマを凄く感じた。
ちゃんと一人称で生きましょう。
大学の頃じゃ感情を分かりやすく言葉にするのは最早ダサく、暗黙の了解としてそれは感じられたら良いとされて使われてこなかったような言葉がHの口から聞こえて、どこか安心した。
それは、Hが丸くなったなとかではなく、そうやって環境に馴染むしかやっぱないのだな…と似た転換期をきっと経たのだろうと、遠い戦友の気持ちとして嬉しかった。
それから、名古屋駅まで送ってもらった。
これまた3年ぶりくらいの夜行バスである。
この生と死の狭間を行く感じ。まさに夜行中である。
隣の人ガチャも最悪な引きで困ったが、無事爆睡に成功し、気づいたら新宿バスタに到着していた。
午前5時の新宿は、遠い山のように青く澄んでいた。
西武新宿線の文字を見てホッとする。
よし、帰って寝て、やることを進めよう。