箱庭の掟
昼下がりに一寸陽が落ちてきた頃。
ホントとウソの入れ混じる様な、そんな夕映えが見上げるSUN PLAZAの文字に反射していた。
ホールの前で開場を待つ長蛇の列。その眺めはなんだかとても懐かしく、幻の様だった。
ホールのライヴなんて、いつぶりなんだろうか。
感慨深さに浸りながらも、何だかずっとそわそわしていた。
でんぱ組のライヴを「直接」観るのも2年ぶり程であった。
開場時間になり体温をピッと計られホールの階段を昇ると、扉から「ぶわ~〜〜」とスモークが溢れていた。
私は包まれて吸い寄せられる様にその暗闇の中へ、身も心もダイブした。。
煙の中でぼんやりと光を保つ非常口のランプ。
注意書きの記されたプラカードを掲げる黒スーツの人。
そして前方の幾つもの垂れ下がるステージカーテンの無数のひらひら。
ホールライヴだ……!!たまらぬ!!!!!
知り合いでもなんでもない人が隣に居る。
しかし、お互い同じ共通言語を持っているような謎の安心感がある。
開演まで30分。
スモークがかった空気、注意を唱えるプラカード、視野いっぱいに広がる赤い席、全く違うのだけれど確実に「同じ」を感じさせられる人の動き、格好。
会場が徐々に暗くなると、赤い席から「にゅ」っと人の影が伸び始めた。
会場の「音」はどんどん高まっていく。
ドクドクドクドク
・・・
昼が下がりの一寸陽が落ちた頃。
みんなが下校の準備する中「土屋くん」と担任の先生に呼び出された。
「この落書きを全部消すまで今日は帰れません」。
ノートの端で、描いた“オリキャラ”たちが楽しそうにしている。
それを先生に指摘された恥ずかしさとそれを消しゴムで消すという、今になっても言語化できぬ感情のまま、消しかすを机の上にたくさん生んだ。
授業中は気が散りまくる。好きな科目はともかく、歴史上の人物にはどうしても落書きして時間を潰したくなる。
突然教室の窓からキャラクターがカーテンを翻すように勢いよく入ってきて、教卓のプリントを蹴散らし、皆の机を跳ね回る様な、ぼんやりと変なことばっか考えていた。
そう、幼子の私よ、君は電波脳を所持した生粋の電波ボーイなのだ!
なぜ、この脳が私の身に搭載されたのかふと考えた。
ぐるぐる考えてく中で「…は!」私は戦慄した。
全てはウォルトのせいなのであった。
幼いころから毎年一回ディズニーランドに連れて行ってもらっていた。
そして、小学4年の頃はじめて友人の家族と行った時「え、パレードみるの?」とびっくりされたことがある。
私の小さい頃のディズニーの回り方は基本パレードとショーを観て、「ディズニーファン(雑誌)」で記憶したエリアに隠されているトリビアなどを追っていくというもので、絶叫アトラクションは全く乗らなかった。
それまで、それが普通だと思っていた。
友人家族と行ったことによって私はついにブレアラビットと邂逅を果たす良い機会になったのだが、本当に好きなことはあまり外に言わない方が良いのかもしれないという心理が生まれた。
とは言え、学校も楽しかった。ところがどっこい、今思えばその楽しいは「社会と切り離されないようにしながらも楽しむ」ということであったのだ。
私が心より謳歌できたのはその“学校”から切り離された、父親が撮影してくれたVHSやディズニーファンや(後に)DVDの特典映像という“空間”の中だけであった。
・・・
「箱庭の中だけでは幸せでいたい」。
微かな光の宿るステージに流れるナレーション。そしてイントロが流れ出し、待機状態のステージがオンライン状態に。
遠くの方でひらひらと踊り光を放つ8人。
ぶわあああとマスクに重力を感じた。
やっと観れた…!
現体制の意向の示された圧巻の始まりに、これぞ!とエンターテイメントの多くの詰まった2曲目(みりんさんのロックダンスをまた観たい…)に移り変わると共に、気づけば私はあの頃の様な“空間”に居た。
「あざすきゅんさん!♪」など、え!生で聴けた!!という曲も編まれたセットリストも素晴らしく、メンバー其々にフィーチャーされた演出もたまらぬであった。
ガッツリエンタメ→にっぽんエンタメ(アキバ、昔話含む)→ジャズ→THE・でんぱ!
ズージャーの時なんて、振り付けに宿る思想含め、たっまらんかったなあ…。
そして、キラキラチューンの“喧嘩”も、たまらんかった…。
…!!
実際、中野サンプラザでライヴを観ている時にハッとした。
こ、これは!!!!
One Man’s Dream…!!
“食らった感覚“がまさにあの幼少期の頃のものに限りなく近かった。
しかも、このでんぱの特有なカンジ。
One Manと言えど、10人。さらにスタッフさんにファンの方々。多くの人間の実現したい、観たいという気持ち、すなはち幻想のレイヤーが重なって生まれた“空間”。
あっはーーーーー。
箱庭の掟。四辺に囲まれた会場に、確実に“そこ“は存在した。
ピュアと狂気と切ないとハッピーの入り交じるような、凄く大切な時間だったなあ。
あの机に消しかすの散らばった、夕暮れの気持ちを言葉にするなら
「ノートの端の創造主 だった だった」だなあ。